ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2010年04月05日
 君のナイフ 1 (ジャンプコミックスデラックス) 君のナイフ 2 (ジャンプコミックスデラックス)

 持ち味のはっきりとしたマンガをいくつも描いてきている小手川ゆあだが、作家性とでも呼ぶべきは、当時流行りのサイコ・サスペンスを手本に置き、作品の心情を次第にアウトサイダーの側へと寄り添わせていった『おっとり捜査』の後半において、すでに具体的であったと思う。すなわち、次のとおり述べることが許されるなら、この社会から逸脱してしまうかもしれない可能性を今日的な原罪として見ることであって、それが織り込み済みである以上、逸脱してしまうかもしれない可能性を直に生きてしまった人間を受け入れられるだけの余地があるかどうかを、世界に対し、問うている。このことに関してはもちろん、『ARCANA』や『ライン』、『死刑囚042』などの諸作にも敷衍できるだろうし、最新の作として1、2巻が同時にリリースされた『君のナイフ』からもまた、同様の意識がもたらされる。

 高校の臨時教師として働く志貴雪鷹は、とある晩に知り合った女性から〈一回人を殺して500万円もらえるとしたらどうする?〉という不穏な提案を持ちかけられる。個人的な事情により大金を必要としていた彼は、半ば疑いの眼差しで話を聞くのであったが、はたして殺人の代行は現実のものとなってゆく。中国人男性のヤン、本職は刑事の久住と、各々の素性を知らぬままにチームを組まされた志貴は、悪質な手口で富を築く会社役員をターゲットとして殺さなければならない。じっさい、目の前で人が死ぬ、殺されて死ぬ、その場面に立ち合った彼は、臆しながらも使命を果たすべく、家捜し、厳重に閉じられていた地下室に足を踏み入れる。しかしそこで志貴が出会ってしまったのは、霊感で人の心を読める少女さつき、であった。父親の死体を見たにもかかわらず、自分たちの正体を知り〈すごい!あなたたち正義の味方だわ(略)私も仲間になる!! 連れてって!!〉と喜ぶさつきに唖然とし、予想外の事態に対処すべく、とりあえず彼女とともに現場を離脱した志貴と久住は、今後の展開に頭を悩ませる。さつきを殺したくない志貴に彼女を引き取らせた久住は、自分たちが起こした事件の犯人はようとして不明であることを、刑事の立場から確認し、笑みを浮かべる。一方、平凡な市民でしかない志貴は、良心の呵責に苛まれることになるのだった。

 かくして『君のナイフ』は、この社会から逸脱していきながらもこの世界に止まろうとする人物たちの様子を、殺人の代行というアイディアのなかに描く。与えられたターゲットについて、それがその個人に特定されなければならない理由は、志貴たちの側にない。にもかかわらず彼らの内面には、殺人を良しとしてまで目的をなさなければならない動機がある。両者の齟齬にサスペンスが生まれていて、宙づりにされているのはおそらく、正義の存在ということになるのだろう。誰のもとにも正義があることと誰のもとにも正義がないことの区別は、いったい何によってつけられるのか。社会的な基準を向こうに回すことで、心理の表層ばかり重たくなってしまった現代をドラマ化しているわけだが、必ずしも作品は、正義とは何か、倫理のあるべきを大上段に構えていない。むしろ確定された倫理はどこにもなく、足場とはならない、それが常であり、不安定であるような世界像をフィクションにあらわしているのだといえる。

 日常を踏み外してしまった志貴の葛藤をよそに、殺人の依頼は次々とやって来る。残酷な犯罪者でありながら逮捕から逃れている男がターゲットであるとき、久住がそれを容赦なく裁こうとするのを目にした志貴のモノローグが印象的である。〈不思議だ クズミのことが恐ろしくない 殺人も…それどころか好感さえ感じる 正義のためでも 金のためでもなく クズミは自分のために殺してるんだろう オレはずっと殺しに意味付けを探してたけど それは必要ないのかもしれない クズミは自分のため ただそれだけで…〉これは自己の正当性が、もしかすれば外在に頼れるものではなく、各個の心因に根ざしていることを射ているように思う。べつの価値観を用意することで、罪悪感を棚上げし、自分を納得させようとする志貴に比べ、久住の手続きはもっとずっとシンプルに見られており、それが先の言葉に繋がっているのだ。

 これを踏まえながら『おっとり捜査』の9巻を開かれたい。ある人物が自分の正当性を以下のとおり述べている。〈欲しい物は欲しい 犯りたい時は犯り 喰いたい時は喰う 込み上げてくる衝動を抑えきれない(略)オレたちはきわめて原始的な人間なんだろーな〉そして〈――――お前もか〉と、主人公にその行動原理を尋ねる場面である。作中でそれを言っているのは、社会から逸脱するほどの猟奇性を生きてはいるものの、すぐれて社会的な人間として描かれている。つまり、彼の資質が悪であるという判断は、社会性の有無によってのみでは、的確にされえない。だが、犯罪者にほかならないという自覚を〈オレたちはきわめて原始的な人間なんだろーな〉と指しているのは、話を『君のナイフ』に戻すのであれば、志貴が〈オレはずっと殺しに意味付けを探してたけど それは必要ないのかもしれない クズミは自分のため ただそれだけで…〉と見なす久住の態度にも通じる部分があるだろう。

 ところで作者の過去作を例に出したが、『君のナイフ』における志貴とさつきの関係にしても、前例がないものではない。いうまでもなく『おっとり捜査』の秋葉とみずほであったり、『ARCANA』の村上とまきであったり、『死刑囚042』の田嶋とゆめであったり、成人男性と純真な少女のペアは、小手川ゆあのマンガにとって鉄則ともとれる。おそらく作者が、このパターンのコミュニケーションを、ギャグの面でもシリアスな面でも、得意として扱っているというのはある。だがそれ以上に、欠損を抱えた者同士の結びつきであるような側面が、この社会から逸脱してしまうかもしれない可能性と相対する要素となっている。この世界に逸脱の可能性を生きてしまった人間が受け入れられるだけの余地はあるかどうか、たとえささやかであったとしても世界の一片と一片に間違いない二人が関わり合うことのなかに、もしかすればそれは示されようとしているのだと感じられる。

・その他小手川ゆあの作品に関する文章
 『ショートソング』(原作・枡野浩一)
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『死刑囚042』第5巻について→こちら


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