ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2010年03月22日
 たしか以前にも引いたようにヤンキー・マンガの現状について〈一部のものを除いて、ヤンキーエピソード集、ヤンキー出世物語集だよ。それって、「本当にあった○○話」じゃないの?(略)ああいう“実話”ものってほかにもたくさんあるけど、あれは読者の体験記を元にマンガを描くとか、マンガ家がそれぞれ自分の体験を描く体験エピソード集だよね(略)ヤンキーマンガが堕ちたっていったらなんだけど、作品ではなくなっているような感じが俺はしているんだよ〉と『このマンガを読め!2010』の座談会で言っているのはいしかわじゅんだが、これに関してはもうすこしべつの見方もできるように思う、というのはつまり、内面を語るメディアとしてのこのジャンルの機能が、時代をくだり、特化され、より多くのヴァリエーションを求めた結果、いわゆる体験談や自伝的な要素と結び付いたかもしれない可能性である。そもそも原作が、芸能人の書いた実話ベースの小説である点を踏まえてもいいし、逆に差し引いてもいいのだけれど、先立って品川祐(品川ヒロシ)の同名作を鈴木ダイ(鈴木大)がコミカライズした『ドロップ』にしても、この佐田正樹がオートバイオグラフィふうストーリーのゆうはじめによるマンガ版『デメキン』にしても、煎じ詰めれば、不良少年にも内面があるんだぞ、式の切り口をテーマの下敷きにしているのであって、これはもちろん、今日におけるヤンキイッシュな表現手法の拡張にほかならない。しかしながら自分があまりそのようなアプローチを高く買っていないのは、メッセージ性(まあね)を個人の葛藤に寄り添わせるあまり、ストーリーの立ち方はせこくなるしかなく、その内容にはっとさせられるものがほとんど見られないからである。かくして、この1巻では、子供時分にデメキンと呼ばれ、いじめられていた主人公が、一念発起し、不良少年となっていく様子があらわされているのだが、作中の人物たちがやたら盛り上がっているほどにはこちらのテンションはあがってくれないのが正直なところ。当時のヤンキー文化的な情報をディテールにストックしているあたり、半径の狭い世界を丁寧に描写しようとする誠実さがうかがえはするものの、残念ながら現段階では、それ以上の成果をあげられていない。

・その他ゆうはじめに関する文章
 『クローズ外伝 リンダリンダ』(監修・高橋ヒロシ)
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
  4話目について→こちら
  2話目について→こちら
  1話目について→こちら
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