ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2010年03月16日
 彼はトモダチ(7) <完> (別冊フレンドKC)

 ああ、これはよくまとめた。じつによくまとめられているのであって、全7巻という長さのなか、紆余曲折はあったけれども、吉岡李々子の『彼はトモダチ』は、たいへんに満足のいく落着、不覚にも涙させられてしまったほど、きれいなエンド・マークを打てていると思う。たとえば、両想いがいかにして実るかよりも、実った両想いをどうキープするかが、近年の少女マンガにとって重要なテーマになりつつある、というのは少なからぬ人間により指摘されているところではあるが、その観点からいえば、あきらかに『彼はトモダチ』は、前者の、要するに古式ゆかしいマナーに従っているといってよい。じっさい、いくらか見え透いたアイディアはあったものの、それらの総和が、正しく感動と呼んでも差し支えのないワン・シーンに収まろうとしていくクライマックスには、だめだ、自然と泣かされてしまうので、困るよ。ほんとうは好き合っていたはずなのに、結ばれるまであまりにも遠回りしてしまった二人、日和と佐々本の恋は、作中で、運命、の一語に集約されている。つまりは遠回り自体が物語化されており、その結末が運命に喩えられているわけだ。が、しかし、それはあらかじめ定められていた、と、すべてを簡略化しているのではない。最後の場面で〈あたしたちはなんで とても簡単なこたえが わからなくなるんだろう 悩んで 迷って まちがえて でも そうやって見つけた こたえが きっと 運命って 言うんでしょう?〉といわれているとおり、何もかもが不確かであやふやな道筋を、よれよれ、彷徨ってようやく辿り着いた結論を、受け入れ、肯定的に言い換えてみせる、そのような意識のあらわれを指す。たかが恋愛、もしかしればそう見なされるだろう。その、たかが、程度のことに熱を上げ、さんざん我が儘にも振る舞った末、各人が手に入れられたのは、一般論からすれば当然、たいして褒められたものではない。にもかかわらず当人たちにとっては、それが絶対にしか感じられない、だからこそ運命として認められる、これに対し、はたしてどれだけ共感のエモーションを持たせられるか、『彼はトモダチ』の説得力はほとんどそこにかかっている。作品の奥行きは決して深くない。だけど、恋愛がときおり浅はかなものだとすれば、その真髄を掴まえているので、ふと眼の前が霞むし、逆らえない。

 6巻について→こちら
 4巻について→こちら
 3巻について→こちら
 1巻について→こちら

 『99%カカオ』について→こちら
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