ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2010年03月15日
 真夜中だけは好きでいて 1 (フラワーコミックス)

 しかしなぜに自分はこうも畑亜希美の作品が好きなのか。絶対に、すごいとか巧いとかどうとか何とか、そういう評価で語られるマンガ家ではないのだったが、ひじょうに好みなのは間違いがなく、いやまあ単純明快に考えるなら、この作者ならではのテンポがたしかにあって、それがこちらの趣味にはまっているせいなのだと思う。だいたい、登場人物たちの喜怒哀楽、テンションの持たせ方からして、独特なところがある。やたらハイではあるものの、それは必ずしも彼ら彼女らの不真面目さに由来しない。はしゃいだりとぼけたりすかしたりしているのが常日頃であるような人間だって、時と場合に応じ、他人や社会とシリアスな関係を結ばざるをえないのは当然のことであり、その様子が物語化されているとき、むしろ各人の個性を引き出し、伸ばし、十分な魅力を与えるのに適当なデフォルメとして見られるのである。この1巻が出たばかり、『真夜中だけは好きでいて』に関しても、そうしたカラーに変わりはないといえる。たしかに前作の『ベイビー☆キスをどうぞ』に比べ、ギャグの要素はあからさまでなくなっているのだけれども、劇中のトーンは決してダウンしておらず、真面目なやりとりにあってさえ、この作者ならではのテンポに勢いのよくついていることが、登場人物たちの表情と物語の内容とを生き生き、際やかにしている。

 中堅の広告代理店、ドリーム広告に勤める春日まどかは、駆け出しのCMプランナーであって、一所懸命仕事に励むのだったが、会議ではろくなアイディアも出せず、怒られてばかり、そんな自分に不甲斐なさを感じている。いつも同じく、深夜、職場からの帰り、落ち込みながら立ち寄ったスーパーでの出会いが、まさかいくつものドラマを運んでくるのだと彼女はまだ知らない。売り場で困っていたところをスーツ姿の若い男に助けられたまどかは、その笑顔とやさしさに元気をもらい、さらには着想を得、はじめて上司が認めるほどの企画を立てられたのだったが、翌日、自分の喜びと感謝を伝えようとする彼女に対し、彼は冷たい。にもかかわらず、まっすぐ向き合ってくるまどかの態度にその顔つきは緩んでゆく。お互いに名前を知ったまではよかった。しかし桐谷純という、その男がじつはライヴァル会社、MM広告のやり手営業マンであったことから、今にもはじまりそうであった二人の恋愛は、ねじれにねじれ、さまざまな障害を抱えることになる。

 以上の筋書きを、都会的な企業を舞台に社会人の恋愛を描いたものとしてはいささかステレオタイプ、紋切り型であるように思うかい。いやまったくそのとおりである。だが、そうしたプロットの手垢にまみれた部分をぬぐい去るとはさすがにいわないのだけれど、すくなくとも凡庸に戯画化された企業像と葛藤を前に、一組の男女がいかにピュアラブルなラヴ・ストーリーを築き上げるか、このへんに焦点の合わさっていく物語において、畑亜希美ならではのテンポが、登場人物たちの、しばしば考えなしで素っ頓狂な言動すらも新鮮みのあるアプローチにしてしまう、それがあたかも作品自体のテーマと不可分であるように受け取れることに注目されたい。ヒロインであるまどかが、桐谷の存在を介して(あるいは桐谷がまどかの存在を介して)直面するのは、公私の問題といえよう。想い、惹かれる相手とは、職業上、対立しなければならない。しかし恋愛の感情がプライヴェートにとどまるものであるかぎり、あくまでも可能性としては、企業上の倫理を持ち込む必要はないと考えられる。これがたぶん『真夜中だけは好きでいて』という題名の一端にかかっているのだが、当然、そのような線引きをきっちり、まったくの負い目を除けてしまうことは、人間の内面にとってたいへん難しい。まどかと桐谷の、ことあるごとにころころと表情を変える様子は、まるで極端な躁鬱を行き来しているふうである。だがそれは、公私の不自由なバランスの内側で、引き裂かれつつ、たとえ割り切ろうとしても、否応なく盛り上がってしまう主観を、肯定的に掴まえられているからなのだと思う。

・その他畑亜希美に関する文章
 『ベイビー☆キスをどうぞ』
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら

 『ベイビー☆お手をどうぞ』について→こちら
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