ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2010年02月12日
 奥嶋ひろまさの『ランチキ』は、無気力に倦んでいた坊ちゃんたちが、つっぱることに青春を見つけ、活き活き生きようとする姿を、マンガに描いているが、この2巻で、彼ら坊ちゃんたち、不良少年に憧れ、チーム「シカバネ(鹿金)」を結成した鹿野乱吉と金田鉄雄の二人組は、中学生から高校生へとステップ・アップしてゆくことになる。中学卒業を目前にした乱吉のもとに、抗争し、くだした示現中のトップ、木場大輔が訪ねてき、〈俺とタイマンはってくれ〉と申し出る。〈頼む! 俺とタイマンはってくれ!! このままじゃ中学生活に後悔しか残らへんねん!〉と言うのである。もともと卑怯な手でケンカを勝ち抜いてきた乱吉は、それをむげに断るのであったが、相棒であるキム(金田)の説得や、進学せずに就職しなければならない木場の事情を汲み、ついにタイマンをはる気になったのだった。この、木場とのタイマンが、じっさいの卒業式を欠席する羽目になった乱吉にとって、一つの通過儀礼的な意味合いを果たしていることは、明らかだろう。しかして、それ以前に同級の小出水悟から〈あ…あそこは偏差値の高さより武勇伝の多さを誇るような高校やぞ!〉という話を聞き、〈俺たちの進む道は――降威高校や!〉と進路を決めた乱吉とキムが、その降威高校でいったい何を実現しようとしているのかが、物語を見ていくうえで、もっとも注意されたい点であると思う。もちろん、そこには彼らが「シカバネ」を結成するきっかけとなった椿屋が在学しているため、というのが大きい。しかしそうした導き手を得たことで、主人公たちは、何と訣別し、何を把握しようとしているのか。これが所謂ヤンキー・マンガのジャンルで読まれる作品である以上、表層的には、ケンカに勝利し、名をあげ、他から認められることにほかならないのだけれども、それを手段として考えるのであれば、深層のレベルで目的化されているのは、自己の将来をいかにイメージし、イメージされたプランに粉骨砕身到達せんとする、このような人生学上の理念を成就させることなのであって、たとえば乱吉が母親に言う〈夢やとかやりたいことって言われたらまだ分からへんけど でも降威高校で3年間 自分らしく過ごせたら 卒業する頃にはなりたい自分になってる気がするんだ!〉こうした志望理由は、まだ朧気ながらも、いや、いまだ十代であり未熟であるからこそ漠然としたヴィジョンの、たしかな起点になりえているのである。当然、その起点からどれだけ具体的な認識を取り込み、表現の幅を拡げていくのかが、やがて『ランチキ』の価値を定めることになるのは、いうまでもない。

 1巻について→こちら
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック