ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2010年01月23日
 ああ、〈この家族にこんな日がくるなんて〉。ほんとうだよ。武富智の『EVIL HEART』とは、要するに、家族の、あるいは家族を組織する人びとの、再生の物語であった。もちろん、合気道を直接の題材にしたマンガではあるのだけれども、いわばそれを、二つ以上の主体がコミュニケーションするさい、双方のあいだで自然に生じる力点、そして作用点の喩えとし、ひらかれていったドラマの先に、本質的な感動が在る。誰も一人では生きていかれないよ、とは単純に言わないが、他からの働きかけによって暗がりを救われることがある、このような可能性を、フィクションの、力強い描線に変えているので、心を押される。

 父親に起因する暴力のせいで、離散してしまった正木家。兄の滋は、自分を刺し、現在は服役中の母親を恨み、報復すべく、非情な裏社会で暮らす。そんな彼から家族を守ろうとして合気道を習いはじめた弟の梅夫は、教師のダニエルなど、さまざまな人たちと関わりながら、その、合気道の理念を身をもって知っていくうち、成長、次第に失われていたはずの穏やかで子供らしい表情を取り戻すのであったが、しかし父や兄に通ずる暴力の芽が完全に摘まれることはなかった。姉である真知子の心配をよそに、母親が出所する日が近づく。梅夫の、いまだ不甲斐ない自分に対する焦りは、ふたたび彼を深い孤独に引きずり込もうとする。

 全3巻で終わった連載ののち、すべて描き下ろしの「氣編」を経て、この上下巻となる「完結編」のリリースにまでこぎつけた経緯はまったく知らないのだけれど、とにかく、出てくれてよかった、読めてよかった、と、感謝できるだけの内容、十二分に価値のある結末を得られることが、うれしい。絶え間ない暴力の連鎖はいかにして否定されるべきか。さんざんに壊れてしまった絆の修復は為せるのか。幸福や希望はその対象に自分と他人とを一つにして含まなければならないのではないか。こういう普遍的な、いくとおりかになる問題の提起を、半径の狭い世界に投影しながら、ひじょうにエモーショナルな解答を導き出しているのである。

 物語全編のクライマックスにさしかかり、作中人物らの行動を通じて、大人は必ずや子供を守らなければならない、という意識が主張的になるのと同時に、子供は決して大人に庇護されるだけの弱小ではない、という定義が顕在化するのは、作品のなかにあらかじめひろがっていたネガティヴなヴィジョンを、思わず涙させられるほどのカタルシスへと傾かせるのに、おおきな足がかりとなっている。そこには、立場が異なれども、一個に数えられ、相互に干渉し合う人間の、真理めいた関係性があらわれているのであって、当然、合気道の描写もその具現に奉仕しているのだし、梅夫と滋の最終決着においてついに、鮮烈な実証を見ることになる。

 下巻のほとんどを費やし、展開される梅夫と滋の対決は、目を離せなくなるまでの迫力に満ちている。兄弟喧嘩といえばそうであろう。しかし、複雑な葛藤と愛憎を過分に孕んだそれは、暴力と破壊でしか果たせない惨劇の一幕にほかならなかった。膨大なページに渡って繰り広げられる殺意、憎しみ、攻防の、なんて痛ましいことかよ。だが、作者はたしかにその、絶望的な光景の向こうに、合気道のモチーフを、そうして和解と救済のもたらされる瞬間を、慈愛の吸い込まれる息遣いを描いている。感動するのだ。正木家の、母親が、兄が、姉が、弟が、父親が、やがて再会する場面、まさか〈この家族にこんな日がくるなんて〉。それは奇跡などではなく、一人一人が損なわれてしまった自分と繋がりを取り戻そうと懸命に生きた軌跡の。


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