ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2010年01月19日
 隣のあたし 3 (講談社コミックスフレンド B)

 三角関係上の恋愛が主題であるようなとき、自然と浮かび上がってくるのは、嫉妬、の感情だろう。すくなくとも、たった一人の存在をめぐり、はからずも対立状態に陥ってしまった二者は恋敵たるもう片方を(たとえ親交があろうがなかろうが)意識せざるをえないのだし、究極的にはどちらかが(あるいは双方が)敗者の立場に回らなければならない以上、もしも自分が選ばれなかったならば、もしも自分がそれを勝ちとれなかったら、という心理に余裕を保っていられるわけがねえんだ。兎角いま望んでいる相手こそが真であり絶対であると信じられれば信じられるほど、その苦しみ、呪われた気分は深刻となるに違いない。もしかすれば、過去作にあたる『先輩と彼女』や『スプラウト』の頃から一貫して、南波あつこというマンガ家は、本質的にはネガティヴな嫉妬の感情にとらわれる人間の心理にどれだけの純粋さが仕舞われているのかを描こうとしている、と、この『隣のあたし』の3巻を読みながら、思う。したがって、逆説になってしまうのだけれども、三角関係の葛藤をモチーフにすることがしばしばなのであって、むしろすでに作家性の一部として見られてよいのかもしれなかった。一歳上の幼馴染み、京介に想いを抱きながらも、彼に結衣子という恋人ができたことから、悲しみ、打ちひしがれなければならなくなった仁菜であったが、いくら断ち切り、諦めようとしても、好きになった気持ちは消えてなくなってはくれない。叶わないのを知っているにもかかわらず〈……京ちゃん 好き………「応えて」とか言わないから………せめて好きでいさして〉と告げる言葉が、京介の動揺を誘う。他方、久米川と別れ、京介との真剣な交際をはじめた結衣子は、今でも彼が仁菜に対して、やさしく接し続けていることに目をつむれない。笑顔でそれを許しているふうに装ってはいるのだが〈「彼女」は…「一番」は あたしなんだから……〉という苛立ちを秘め、京介への不審をつよめてゆく。たしかに、仁菜と結衣子とでは置かれているポジションが違うし、当然、アプローチ、意識のありようは異なってくる。だが、ある段階まで掘り下げて考えるならば、嫉妬の感情によって両者の行動は左右されている、その点において共通していることがうかがえる。とくに、ほんらい優位に立っているはずの結衣子の側の執着がありありとしているのは、それが物語を展開させるのに必要な動力になっているからなのだけれども、印象としては、女の子っておっかねえ、というのがよく出ていて、このへんの不穏さは、なかなか。ときおり結衣子の見せる表情はまじで油断ならない。ところでここで、この巻で、仁菜と京介、結衣子のトライアングルを中心としてきたストーリーに、仁菜のクラスメイトである上村が介入してくるわけで、彼の告白はいきなりすぎ、あまりの唐突さに、いやいや、君は誰だったかい、と、読み手の一人からすれば尋ねたくもなるのだったが、おそらくはこれが、京介を刺激し、わずかばかりだとしても嫉妬の感情を与えることになるのでは、と想像させる。

 2巻について→こちら

・その他南波あつこに関する文章
 『スプラウト』
  7巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
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