ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2010年01月02日
 中島敦殺人事件

 こういう褒め方を作者は好まないかもしれないが、小谷野敦の『中島敦殺人事件』はとてもファニーなラブコメ小説だと思う。不穏な題名に暗示されている殺人事件とは、作中で解説されているとおり、文学史における当該作家の扱いを皮肉的に指していて、いやたしかにそれや、種々の研究をめぐるアカデミズムの世界の、内部描写が重要なパーツを為しているのだけれども、物語的には、メインの人物である男女が、恋愛の意識を踏まえながら、生々しく応答し合ってゆくところに、最大のおかしさ、魅力がある。そうした男女のうち、比較文学を専門に大学で非常勤の講師をしているという藤村敦は、おそらく、若かりし日の小谷野自身をモデルとしているのだろうし、もう一人のほう、女子大学の国文科で修士課程の一年生だという菊池涼子は、小谷野の過去作である『美人作家は二度死ぬ』にも登場していた(注記には〈本作は『美人作家は二度死ぬ』の続編だが、設定を変えてある〉とある)。さらには、小谷野が先般出したばかりの『翻訳家列伝101』に照会できる箇所も多い。が、このような情報は、筋を追いかけるにあたって、絶対に必要とはならない。むしろ、もっと息抜き、目を通されたい。すると、80年代の半ばを舞台にした恋愛の模様としてのリアリティが、ふっと浮かび上がる。個人的には、如才ないヒロインと手緩い青年の対照に、時代性が近しい『めぞん一刻』や『東京ラブストーリー』といったラブコメのマンガに対する、まるでアンサーであるような内容を見た気がした。そしてファニーだと感じられる由もそれによっているのであった。一方、併せて収められている短篇小説「天皇の煙草」は、がらりと作風を変え、禁煙を強制されるせいで、じょじょに妄念をつよめていく中年男性の意識を戯画化している。しかし、煙草への依存はきっかけの一つにすぎないだろう。半径の狭い社会生活に抑圧された個人の苦悩はいかに発達するか。その過程に込められた切実で大げさな訴えが、主体の視野を不安定に歪め、話を妙な方向に転がしているのである。『中島敦殺人事件』にしても「天皇の煙草」にしても、世界のあらわれ方自体は、たいへん小さい。せこく、みみっちい。しかるに、そういう小ささ、卑近さが、翻って、作品の重量になっている。あるいは反対に、いっけん堅苦しい題材を気軽に転じさせているのであって、そこを手がかりに共感の回路を掴んでもいける。

・その他小谷野敦に関する文章
 創作
 『童貞放浪記』単行本について→こちら
 「童貞放浪記」について→こちら
 『悲望』単行本について→こちら
 「なんとなく、リベラル」について→こちら
 「悲望」について→こちら

 評論
 『『こころ』は本当に名作か 正直者名作案内』について→こちら
 『リアリズムの擁護 近現代文学論集』について→こちら
 『退屈論』文庫版について→こちら
 『新編 軟弱者の言い分』について→こちら
 『谷崎潤一郎伝――堂々たる人生』について→こちら
 『なぜ悪人を殺してはいけないのか―反時代的考察』について→こちら
 『禁煙ファシズムと戦う』について→こちら
 『帰ってきたもてない男――女性嫌悪を超えて』について→こちら
 『恋愛の昭和史』について→こちら
 『俺も女を泣かせてみたい』について→こちら
 『すばらしき愚民社会』について→こちら
 『評論家入門 清貧でもいいから物書きになりたい人』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(09年)
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