ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年12月27日
 ARISA 3 (講談社コミックスなかよし)

 願い事をエサにしながら2-Bの生徒たちを影から支配する「王様」の正体は誰なのか。そして時季外れにやってきた転校生、玖堂レイの知ったふうな行動が意味するものは何か。自殺を試み、意識不明の重体に陥った双子の妹ありさになりすまし、彼女をそこまで追い詰めた原因を、真相を探るべく、姫椿中に潜入したつばさの前に立ち現れてくるのは、新たな謎、謎、謎、謎ばかりであった。3巻に入ってもなお、先の見えないサスペンスを深めているのが、安藤なつみの『ARISA』であるが、このマンガの本質はやはり、学校や教室という狭い世界に構築された同調圧力のパニックだろう。あるいはそのパニック下において利己的にならざるをえない人びとに対し、孤立無援にも抗うヒロインの姿が、『なかよし』という掲載誌の本来の読み手である年齢層に適切な印象と、勇敢なドラマを織り成しているのである。「王様タイム」と呼ばれる儀式に新しく書き加えられたルールのせいで、クラスメイトたちがみな足を引っぱり、出し抜こうとするサヴァイヴァルの要素がつよまった。こうした設定は、今様のバトルロイヤル的なシミュレーションを採用しているといえる。脱落者や犠牲者の数が増えれば増えるだけ、主人公に課せられる使命は重たくなってゆくのだ。が、しかし、本作が興味深いのは、そうした主人公が本質的には外部の(あるいは外部からやって来た)人間にほかならないことであって、彼女の介入によって閉塞した状況が改変されるという仕組みを持っている点だと思う。これはもちろん、事件の内輪にいなかった人物に探偵役を要請することで未知の条件が次々リサーチされる、式の、ミステリのジャンルのオーソドックスなパターンに倣っていると見てよいし、じっさいそれがサスペンスをつくっているのだけれども、同時に価値観の固定された共同体のなかに別個の価値観が持ち込まれる、というような構造上の、大きな特徴を兼ねる。ここで注意しておかなければならないのは、『ARISA』における教室が、社会の縮図や何かの比喩ではなく、ひじょうに直接的な舞台装置として使われていることであり、それが作品自体の共感度を高めていることである。いやたしかに、親や教師の類、要するに大人がほとんど物語にタッチしてこないのを、批判するのは可能だし妥当だ。中学生の一存で生活のあらかたが語られてしまうのは不自然ですらある。だが、社会や家庭をまるっきり括弧にくくってしまってまで、学校や教室という狭い世界が再現されているのだと考えたい。すでに述べたとおり、その、狭く狭い、閉じられた世界ならではの同調圧力が、「王様」なる象徴的な存在を、生徒たちの上位に機能させているのは、疑いようがない。ヒロインのつばさは、そうした世界の外部から別個の価値観を持ち込み、動揺を誘う者であった。そしておそらく、転校生の玖堂レイもまた、つばさとは異なるベクトルの価値観を外部から引き入れる者なのだろう。はたして両者の邂逅は、自分たちのアイデンティティを他に委ねてしまったかのような2-Bの生徒たちに、悲劇以上の影響をもたらせるのか。依然、スリルは増すばかり。

 2巻について→こちら


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(09年)
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