ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年12月02日
 劉備玄徳という頂、曹操孟徳という頂、はたしてどちらのほうが天に近しくそびえ立っているのか、こうした対照は、『三国志演義』を元ネタにするフィクションにおいて、よく見られるものであって、もちろんのこと、武論尊(作)と池上遼一(画)のタッグによる『覇 -LORD-』もまた、それを採用しているといえるだろう。曹操のスケールを意識する劉備、劉備のスケールを意識する曹操、両者のライヴァル関係が、あたかも中国史を揺らがすほどの動力であったかのように描かれているのである。この17巻では、共同戦線を組んだ張ばくと呂布とが、それぞれ、別個に、劉備や曹操らと相対し、曹操(劉備)にとって劉備(曹操)の存在がいかにでかくはだかっているのか、直に引き出すことで、上記の構図が強調的になっている。劉備と一騎打ちを果たす張ばくが、自らのモチベーションを〈曹操の眼に映るのは、この張ばく(オレ)一人でいい! 断じて劉備(おまえ)ではない!!〉と述べているとおり、それはまさしく、曹操への情念であり、劉備への嫉妬を含んでいるのであった。そして、何人たりとも劉備と曹操のライヴァル関係に割って入ることはできない、という運命(あるいは作中のロジック)が、張ばくを敗北させる。そこには、たとえば武論尊(史村翔)の原作でいうなら、『北斗の拳』に登場する人物たちの多くが、ケンシロウとラオウの対立軸に二分され、彼らの周囲をめぐる衛星以上にはなれないのにも似た、悲劇性を見つけられる。要するに、『三国志演義』を下敷きにしたストーリーのなかに注入された独自のエッセンスは、そうしたところに効果をあらわしているわけだが、しかしながら『覇 -LORD-』を読み進めるうえで注意されたいのは、劉備と曹操の、『三国志演義』自体に由来するライヴァル関係のほかにもう一つ、劉備と常元という、このマンガならではの、つまりはほとんどオリジナルな対照が、中国史を、べつの方向からはげしく、震わせている点だ。劉備と常元の二者は、倭の国(古代日本)から大陸に渡ってきたのであって、本質的には異邦人であると設定されている。彼らのうち、とくに常元のほうに託されているのは、やや過激に捉まえるのであれば、侵略者のイメージだと思う。じっさい、一般的には曹操が行ったとされる徐州での大量虐殺は、その一部は常元の仕業であったと置き換えられている。このような、侵略者としての常元のイメージには、もしかしたら今日における日中戦争の残響さえも重ね合わされている、と解釈するのは、早計であろうか。いずれにせよ、同じく倭人でありながらも、中国史に尽くそうとする劉備のカリズマは、間違いなく、常元の所業に対するアンチテーゼになっているのであって、それはここで、かつて彼が祭輝と祭勝という親子から受けた恩に端を発していることが、あかされている。さらに付け加えるなら、劉備が、命かけ、実現しようとしているのは、その、個人的な動機からはじまっているものをどれだけ社会に敷衍することができるか、という試算にほかならない。私情にとどまる張ばくが、決して劉備に及ばない理由も、じつはそこによっているのである。

 16巻について→こちら
 15巻について→こちら
 14巻について→こちら
 13巻について→こちら
 12巻について→こちら
 10巻について→こちら
 9巻について→こちら
 7巻について→こちら
 6巻について→こちら
 5巻について→こちら
 3巻について→こちら
 2巻について→こちら
 1巻について→こちら

その他武論尊に関する文章
 『DOG LAW』(画・上條淳士)について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(09年)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのTrackBack URL
http://blog.seesaa.jp/tb/134525027