ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年11月09日
 文学界 2009年 12月号 [雑誌]

 『文學界』12月号掲載。村上龍の『心はあなたのもとに “I'll always be with you, always”』は、作者がこれまで手がけてきたヤザキケンあるいはケンジ・ワークスの総集編とでもすべきアイディアの流用を、今ふうの難病恋愛ものというかケータイ小説的というか、あらかじめ恋人の死が定められているような物語に落とし込んだ内容であって、正直なところ、持って回った筋書きに怠さの誘われる部分はすくなくない、というのは以前にも述べたけれど、連載も三十回を越えて、ようやく佳境に入ってきた感がある。主人公である中年男性によって手厚く養われている愛人の病状が悪化し、両者のあいだに色濃く横たわっていた死の気配が、具体的なモーメントへと変わりはじめている。ひさびさの逢瀬、しかし約束の時間に現れない香奈子に連絡をとろうとするが繋がらず、ケンジは〈これまでも直前のキャンセルがなかったわけではない。しかし、そういうときは必ず連絡があった。こんなことは、はじめてだった〉と悪い予感を抱き、心配の言葉をメールにして送るというのが、この第三十一回の引きである。が、クライマックスの生じる前段階において、かねてより香奈子が喪失されるかもしれないことに持っていたケンジの不安が、少年時代の記憶と家族との関わりのなかで、強烈さと曖昧さを増しながら先延ばしにされている、それが今回の要所だろう。てっきり、主人公の妻子は背景に引っ込んだまま、ずっと話は進んでいくのかと思っていたのだけれども、ここにきて、断片的に、彼女たちの存在が浮かび上がる。そしてそのイメージは、スノッブな印象も含め、村上龍の過去の小説にしばしば見られていたものと共通する。たとえば一つ例を挙げるなら、家族間の無関心と奇妙に戯れる短編「ウォーク・オン・ザ・ワイルドサイド」を思い出させる。必ずしもシリアスに向き合う必要のない関係性は、しばしば主体をリラックスさせる。こうした認識のありようが『心はあなたのもとに』の第三十一回では、あたかも〈家族との時間は、わたしを受身にする(略)わたしには基本的に居場所がない。まるで透明人間になったかのようで(略)それが心地よかった〉と再確認されている。他方、幼い日の出来事が、ふと主人公の頭をよぎるくだり、ヨシムラという少年の存在もまた、『はじめての夜 二度目の夜 最後の夜』など、作者の過去作に見つけることができるし、虚弱体質の同級生のエピソードは、他の作品にも拡散している。ヨシムラは〈でも、ぼくは、映画を観ているときだけ、少し痛みを忘れるんだよ〉と言う。もちろんこの、映画、という響きが持っている意味合いもやはり、村上龍にお馴染みのものだといえる。

 第二十七回について→こちら
 第十九回について→こちら
 第十七回について→こちら
 第十一回について→こちら
 第七回について→こちら

・その他村上龍に関する文章
 『半島を出よ』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(09年)
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