ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年02月12日
 『文學界』3月号掲載、『世界一周恐怖航海記』という連載の第一回目である。車谷長吉にしてみれば、私小説ではなくて、旅行記なのだろうが、これが、いつもと変わらぬ毒気の混じった文章により、淡々と綴られる苦行の日々といった体である。だいたい、船上の生活において〈連日、さまざまな催しあり。私はそういうものに一切参加せず、乗客はみな、この船旅を貪り楽しもうとしている。この「むさぼる」という空気が息苦しい。私は「楽しむ」というのが嫌いだ〉、〈この船の生活には、慰めがない。「しみじみとした生活」がない。みんな、生の楽しみをむさぼろうと、はしゃいでいる。この「むさぼる」というのが、私は嫌いだ。この船に乗って思い知ったのは、私には楽しむ能力が根本的に欠けているということだ〉と思うばかりで、読みながら、とうてい楽しそうだとは感じられない。たいていは図書館で過ごしたり、人間観察、あるいは目にした風景に過去を振り返ったりしている。そのつど、暗く重たい憂鬱を吐く。では、なぜ、それなのにわざわざ世界一周、100日にも及ぶ旅になど出たのかといえば、妻であり歌人の高橋順子が、どうしても、と行きたがったからである。もしも断れば、彼女はひとりででもそうしただろう、そのように考えると〈私は家に百日も取り残されるのが怖かった〉のだ。しかし、この消極的な選択を笑うことが、僕にはできない。ある意味では孤独をおそれる、このような感覚というのは、人にとり、けっして逃れられない、根源的な苦しみであろう。車谷は〈私をこの世に繋ぎ止めているものは、お袋と順子さんの慈悲だけである。この二人がいなくなったら、もうこの世には意味はない。存在理由はない。生きる価値はない。一切は無意味、無価値である〉といっている。旅の同行者は、その順子さんと、詩人の新藤涼子(お涼さん)である。話の流れでいくと、次回分は、車谷の講演からはじまる。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(06年)
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