ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年10月17日
 現代的な『りぼん』系の美幼女は、槙ようこが『愛してるぜベイベ★★』のゆずゆによって、かなり極まった感があったけれども、いやいや、モモのかわいさも侮れないね、と、いっけんどうでもよいような話から入るが、しかしやはり、そのキュートな表情にもかかわらず、地球を滅ぼそうとする大魔王の沈着さを兼ね揃えていることが、かくいうアンバランスな存在感が、酒井まゆの『MOMO』に描かれている魅力の一つだろう。じっさい彼女の容姿がもうちょい違ったならば、作品の印象もべつのものになっていたかもしれない可能性が、この3巻には示されている。モモの従者ではあるが、なぜか彼女に対し、悪意を向けるナナギの過去が、とうとう明かされるくだりである。

 早々にネタを割っていくが、ナナギはかつて、現在の地球がそうであるように、モモを7度喜ばさなければ破滅させられる、という条件を突きつけられた他の惑星の代表者であった。結果的にその惑星は救われたものの、ナナギ本人は多くのものを引き替えにしてしまう。そこまで自分を犠牲にしなければならなかった運命を恨み、憎しみ、絶望し、復讐の機会をうかがっていたのである。ナナギがいた惑星のエピソードは、本編の世界観とは異なり、うつくしく悲しいハイ・ファンタジーになっているけれども、そこにあらわされている排他性、疎外感、裏切りは、どのような集団にあっても起こりうるし、現実の戯画化であるふうにも受け取れる。

 作中に説明されているとおり、ナナギの故郷は、いったんは危機を回避しながら、その方法がイレギュラーであったため、〈ゆっくりと何代もかけて〉破滅の道を辿ったというのは、ひじょうに暗示的だと思う。要するに、存続に足る理由を十分に持っていなかったことが、大魔王の裁量ではなく、自滅のかたちをとって、のちのち証明されてしまったわけだ。モモのライヴァルであるピコが、〈まともにポイントを集めて救われた星なんてこれまで一つもない〉と述べているのを真であるとしたとき、つまり、事実としてはモモが降臨した段階で、その惑星の終末は、逃れがたく、決定づけられていることになる。当然、地球でさえ例外ではない。もちろん、それを唯一裏返す可能性が、モモを7度喜ばす、という代表者に与えられた条件であって、いまだ全宇宙で誰もなしとげたことのないトライアルを、ヒロインの小田切夢が成功させられるかどうかが、『MOMO』という物語の、イマジネーションと勇気をつくり出していることは言うまでもない。

 翻って、破壊を司る大魔王であるはずのモモが、地球上で幼い少女の姿をしているのは、ナナギの惑星では(本質的な言動は変わらずとも)べつの外見であったことがじつはある種の分岐を果たしていたのと同様、試練のありように何かしら関与していると解釈しても構わない。もしかしたら、この社会が無垢であるような子供にいかなる影響を有しているか、働きかけられる側から見られているのかもしれない。おそらくは、夢の、モモに対するアプローチも、そこに含まれる。

 ほんらい物心つかない幼児期がイノセントであることと、平等な破壊者であり審判であるがゆえにモモがイノセントであることに、別種の意義を見るべきかどうかの判断は微妙だが、すくなくとも彼女が保護される立場に回っているかぎり、同一視に問題はない。今回の巻には、ナナギにまつわる展開のほか、外を出歩くモモがリンゴを落とした老女に声をかける場面に、はっとしたドラマがあるけれど、二人のやりとりはひじょうに印象的であるし、象徴的である。そしてまた、そのエピソードのモモが、たいへんたいへん、とてもとても愛くるしい。

 1巻について→こちら

・その他酒井まゆに関する文章
 『ロッキン★ヘブン』
  8巻について→こちら
  7巻について→こちら 
  6巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(09年)
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