ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年10月07日
 すばる 2009年 11月号 [雑誌]

 『すばる』11月号掲載。木村友祐の『海猫ツリーハウス』は、第33回すばる文学賞受賞作にあたり、読みながら、なるほど、達者といえば達者な作品である、と思いはしたのだったが、都会に縁のない場所に住んでいる人間からすると、ここに描かれている田舎の風景はまるで、創作の技法上、都合のよいファンタジーにしか感じられず、そのへんで、すこし、白けてしまった。というのは、もちろん、ごく個人的な意見にほかならないのだけれども、しかし題材化されているサークル・ゲームの孤独は、結局のところ、田舎を舞台にせずとも成立する類のものであるだろう。服飾の専門学校を中退し、青森の実家で祖父母の農業を手伝う一方、米屋を営みながらツリーハウスを手がけ、役者を自称する親方のもとでアルバイトに励む語り手の〈おれ〉は、現状に対するフラストレイトからか、それとも過去に受けたダメージのせいでか、しばしば空中でヘリコプターに首を吊られた自分の姿をイメージしてしまう。二十代を半ばにし、〈もういい加減家を出て自活しようと考えている〉のだが、どうしてもその一歩が踏み出せないことを気にかけている。ちょうどそのタイミングで、大阪へ出たはいいものの、グラフィック・デザインの職探しに行き詰まっていた兄の慎平が、親方のツリーハウスによく顔を出しにくるランプ職人、原口に恋をし、彼女に近づくため、農業をやるぞ、という口実で、実家に帰ってきたことから、〈おれ〉の日常にも波紋が生じはじめる。こうした筋立てにおいて、〈原口さんをはじめとして、この「海猫ヴィレッジ」にはジャズピアニストや写真家、陶芸家といったアーティストや職人がよく集まってきた。皆一度この地を出て東京や海外で腕をみがいた人たちで、話の内容も物腰もなんとなくひとつ抜けたような洗練やほがらかさがあるものだから(略)彼らにはもう物作りするのに中央も田舎もさほど関係ないのかもしれない。でもだからこそ逆に、まったく外の世界を知らない自分の頼りなさを強く意識させられてしまう〉という〈おれ〉の自意識が、上下の起伏をつくっていくわけだけれども、起伏自体はあくまでもモラトリアムの性質に由来するものであって、その点に関しては、あまり舞台が田舎であることの必然を受け取れなかったのである。いやむしろ、方言によって規定される共同体の小ささ、交通手段によって限定される行動範囲の狭さは、〈おれ〉イコール亮介と慎平のラインに顕著であるような、つまりは兄弟や家族などのア・プリオリな関係の向きにとって、十分な効果をあげているのだが、とうとう訪れるカタストロフィ(大げさかな)が教えるとおり、小説の比重は、自己実現を目的化したとき、あとからついてくるサークル・ゲームの孤独に寄っている。ところでフラワーカンパニーズの「深夜高速」ってたしかに良い曲だよね。それを聴いている場面があるけど、得たインスピレーションもおおきそう。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(09年)
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