ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年10月02日
 バレエ・メカニック (想像力の文学)

 幸福な夢を見ながら目覚めてしまうのはどうして悲しいんだろう。それはたぶん、幸福な夢に比べ、現実は善く出来ていなくて、それらは必ずや後者のほうに向かい分岐されなければならないことを知らされているからなのだと思う。

 津原泰水の『バレエ・メカニック』は、現実と幻視とが入り交じった世界の混乱を、達筆な情緒で描く。おおきく三つの章にわけられた小説で、〈君〉という二人称により呼びかけられる中年男性が体験する未曾有の災厄を通し、物語は進んでゆく。では、いったいなぜ、造形家の彼は〈君〉と名指されているのか。第一章で繰り広げられた災厄のその後、平和にも見える日常のなか、不穏な人智と個人の救済とが融解する第二章を経、全貌の変わってしまった都市生活が想像される第三章に至ったとき、ああ、と深く差し込まれる感嘆がある。

 作品に高い値がつき、天才とすら評価される木根原であったが、九年前、娘の理沙を水難事故に遭わせてしまい、以来、昏睡状態のまま病院で横たわる彼女をただ存命させるためだけに、自分の人生をなげうっているにすぎない。維持費を捻出するため、芸術家的な狂気をキープし続けなければならないことはまた、彼を孤独にし、ひどく蝕んでもいる。〈年々病院から足が遠のきがちになっているのを内心では自責している。しかし君が綱渡りを続けていないかぎり(次々と錬金術を更新していないかぎり)彼女の世界は消え失せてしまう〉のだった。だが、今や十六歳になった理沙の身辺に次々と異変が起きはじめる。それは何の兆しであったか。東京中を正体不明の怪奇が襲う。白昼夢にも似た。理沙の主治医である龍神によれば、〈都市の無数の要素が絡み合った結果、奇蹟的なネットワークが形成され、理沙ちゃんの壊死した新皮質の機能を、いささか歪んだかたちで担おうとしている〉ことが、このような現象を引き起こしているのだという。〈君〉は龍神とともに、理沙がいる病院に向かわなければならない。パニック状の干渉を免れた巨馬、ストロングゴーストが引くワゴネットに揺られながら。ビル群をまたぐ壮観な蜘蛛、ハンニバルの足下を抜けて。その渦中、過去の残像が胸に去来する。

 以上のような、第一章における歪んでよじれた筋書きは、いくつもの謎かけをともなっており、そしてそれらの、多義的な解釈の余地が、生と死の臨界を踏み越え、物質と精神の垣根を取り壊し、自我と他我の分離を繋げて、夢と現実とが入れ子になったフィクションを展開させることになる。夢が現実を覆うのか。現実が夢を覆うのか。結局のところ、ミステリのタッチで理沙の行方を追跡する第二章の主人公も、ハイテックな装置で近未来のヴィジョンを覗く第三章の主人公も、第一章の主人公と同じく、入れ子になっている重箱を開け閉め、出し入れしながら、決して十分にはあかされることのない認識にはまってゆくのである。

 作品の構造は、おそらく具体的に錯綜としているが、繊細さをとどめつつ、一個一個の場面に、あざやかな抽象性を塗した物語は、せつない印象を寄越す。作者が以前に発表した長篇を例に出し、巨大な都市に幽霊の居つく不安は、『妖都』を思わせる一方で、退廃的なイメージを暮らす人びとの疲れは、『ペニス』に通じるだろう。しかし、ある種のリリシズム、感動の観点からすれば、『バレエ・メカニック』がもっとも香しい。現実を前に、無力であること、はかなさが、翻って、うつくしくなっているのだ。

 津原は『文藝』秋号(09年)の書評で、桐野夏生の『IN』にあて〈脳内ネットワークとでも称すべき、我々が共有する、もうひとつの世界。そこに巣くう怪物がフィクションであると捉えれば、公然とその養殖に励む作家という職能は、「因果な」では済まされない、呪わしい役まわりに違いない〉と述べているが、その役割を評者自身、たしかに引き受けていることが、この小説からはよく伝わってくる。

 ところで、まったく些細なことであるけれども、205ページの、マイケル・ジャクソン(作中の表記ではマイケル・ジャクスン)のくだりは、いつ書かれたものなのだろう。あるいはどのタイミングで挿入されたのだろうか。いや、取って付けた感じもせず、タイムリーな話題をうまくテーマに寄せているので。

 『たまさか人形堂物語』について→こちら
 「土の枕」について→こちら
 『ピカルディの薔薇』について→こちら
 『ブラバン』について→こちら
 『アクアポリスQ』について→こちら


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(1) | 読書(09年)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック

[本]
Excerpt:   「バレエ・メカニック」津原泰水(図書館)を読む。面白い。早川書房。 幻想小説。憑かれたように何度か読み返したが、”小品”として高く評価するのがこの小説には正当な気がする。 1章目の無道具合がずっ..
Weblog: 懐柔する怪獣
Tracked: 2010-07-03 02:35
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。