ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年09月20日
 立原あゆみが描くヤクザ・マンガのほとんどは復讐譚として物語の幕を開けるのだが、そのほとんどが復讐譚として物語の幕を閉じることがないのは、もちろん連載が長期化するにつれ、筋立てが分岐していってしまい、当初のスタンスが変わってしまうからなのかもしれないけれど、いや、おそらくはそれ以上に、すべてのヤクザの夢はヤクザをやめることでなければならない、という潜在的なテーマが、ストーリーの前に障害となって立ち塞がってくるためなのではないか。どちらが先か、悪いかは関係なく、意趣返しは意趣返しを誘う。このような連鎖をおりるには、誰も逆らえないほどの大親分になるまで出世し続けるか、あるいは、死ぬ、しかないのが立原の諸作における鉄則であって、いったん意趣返しに関わってしまったなら、たとえ堅気になれたとしても命を落とす人物はすくなくない。ある場合には、意趣返しに向かわざるをえないほどの怒りに耐えながら生き残ることが、彼らのドラマをエモーショナルにしているのである。さて。『恋愛(いたずら)』もまた復讐譚としての体裁を持った作品であった。兄貴分を殺された主人公のジミーが、その意趣返しのため、さまざまな危険をおかしてゆく。と、こういうふうなプロットは、以前にも述べたとおり、作者の過去作である『東京』や『弱虫』等々の焼き直しにもとれるわけで、まあジミーのパートをよそに並行して展開される一話完結型の色恋沙汰を、本作ならではの特徴に挙げてもよい、というのも過去にいった。が、しかし、やはり本質的な筆致は、裏切りをベースに、復讐をモチーフとし、決められていたことは、この最終5巻によって、あきらかだろう。そして、立原のものとしては驚くべきほど、すみやかに意趣返しをやり遂げたジミーの結末が、ヤクザになるよりほかなかった人間の不幸せを、如実に浮かび上がらせる。そう、すべてのヤクザの夢はヤクザをやめることでなければならない、のだとすれば、その夢の潰えてしまう様子があたかも悲劇であるよう、示されているのである。ラストの間近、雪の夜にジミーが〈オレたちは愚かな世界の住人です アダ討った先に何があるのか? すべてなかったこんな白い世界に変わるのでしょうか 恥を雪(すす)ぐ すすぐを雪と印した人はわかっていたのでしょうか〉と述べるモノローグは、どうしたって取り返しのつかない印象を孕んでしまう。正直な話、立原のキャリアのなかでは決して上位に入るマンガではないと思うが、作家性で見るなら、多く考えさせられるところを含んでいる。

 4巻について→こちら
 3巻について→こちら
 2巻について→こちら
 1巻について→こちら

・その他立原あゆみに関する文章
 『仁義S』
  10巻について→こちら
  9巻について→こちら
  8巻について→こちら
  7巻について→こちら
  6巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら 
  3巻について→こちら
 『本気!〜雑記〜』第1話について→こちら
 『本気』文庫版
  8巻について→こちら
  7巻について→こちら
  6巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  1・2巻について→こちら
 『極道の食卓』
  8巻について→こちら
  7巻について→こちら
  6巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『ポリ公』
  4巻について→こちら
  2巻について→こちら
 『月の教室』について→こちら
 『喰人』1巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(09年)
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