ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年02月03日
 君は永遠にそいつらより若い

 津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』は、第21回太宰治賞受賞作である。まるで損なわれた過去を悼むかのような、ナイーヴな冒頭に、ある人たちは死に、ある人たちは去っていき、そしてそれらは二度と戻らないのだろう式の、よくあるステレオタイプな青春の追想劇かしら、と思わず身構えながら読みはじめてしまったが、いや読後はそうじゃない、もうちょいべつの、なにかべつの見え方をするエモーションに、すくなからず心を動かされた。

 かといって「22歳、処女。いや「女の童貞」と呼んでほしい――」と帯にはあるけれども、これはけっして、そこからイメージされるような、劣等感にまつわる、コメディに寄り添った小説でもない。むしろ物語は、シリアスに過ぎるほどシリアスなほうに傾いているが、しかし語り手であるところの〈わたし〉には、そのシリアスさを、蒼い時代特有の茶番であるとし、出来うるかぎり回避しようとする小賢しいところがある。そうしたヒネた態度が、自分を、10代の頃にやりそびれてしまった処女ではなくて、〈やる気と根気と心意気と色気に欠ける童貞の女ということに〉しておきたい。

 そういった面を強調しつつ、就職先も決まり、あとは大学を卒業するだけの〈わたし〉のとりとめのない日常が、どちらかといえば明るい調子で、語られてゆくのだが、総体を貫くのは、モラトリアムに関するああだこうだじゃあなくて、たぶん、トラウマという限定的に使い慣らされた言葉を用いず、幼年期に受けたメンタルなダメージから、成長を通じ、いかにして人は救われるか、あるいは救われえないか、というようなことではないかと思う。

 たとえば、児童福祉の仕事に就く予定である〈わたし〉は、言うなれば、ライ麦畑のキャッチャーを目指すものである。その直接の動機は〈テレビの特番で見かけた行方不明の男の子を探すために児童福祉司の資格を取ったのだ〉として明かされているけれども、モチベーションの量は、べつの箇所で語られているような、彼女自身の小学生時代の体験ともけっして無縁ではないだろう。彼女は、自分に痛みを与えた世界に対するささやかな抵抗として、他の誰かを助けたいと考えている。と同時に、そうすることで自分もまた救われようとする、ある種の代替行為を選択しているのである。『君は永遠にそいつらより若い』という題名は、その〈テレビの特番で見かけた行方不明の男の子〉を指して、いわれている。

 ところで読みながら気になるのは、小説内において、いくつかのロック・アーティストが固有名を引かれていることで、たとえばソニック・ユースであったりハスカー・ドゥであったりオール・アメリカン・リジェクツであったりするわけだが、大抵のばあい僕は、こういうディテールに関しては作者の趣味を投影する以上の理由があるかよ、と訝しげであるのだけれども、ファウンテンズ・オブ・ウェインのところで、ああ、これが書きたかったのかあ、そのためだとしたら、なるほどねえ、と納得させられてしまった。


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(06年)
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