ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年08月01日
 相変わらず、塀内夏子の作風には、硬派、という言葉が似合う気がした。これはもちろん作者の性別とは関係ない。トレンドの観点から見るのであれば、テーマにしても技法にしても、完全にオールドスクールである。が、しかし、作者自身がまるで、それのどこが悪い、古い新しいがすべてじゃないし、真理じゃないだろう、と、頑なに描き込んでいる様子のイメージされることが、マンガ自体のつよさになっているようにも感じられるのである。この『明日のない空』も、1巻を読んだかぎりでもう、そういう塀内のカラーにあふれている。率直に、胸が熱くなる。

 二年前、父親が弟と妹を道連れに無理心中し、そのせいで心を病んだ母親を養い、生活していかなければならなくなった才谷瞬(サイちゃん)は、昼間は働きながら、定時制高校に通う。そんな彼にとって、唯一の励み、喜びは、部活動でハンドボールのコートに立つことだった。放課後、親友であり、頭は弱いがスター性を持ったプレイヤーの古賀毅(ガッツ)や、気の知れた仲間たちとともに、ボールを掴み、回し、走っているあいだは、多くの煩わしさから自由に、まったく自由になれるのだった。言うまでもなく、スポーツと青春は、この作者がもっとも得意とするジャンルだろう。若さ、生きるということは、正しく身体の運動に直結する。

 スポーツを題材にしたフィクションにおいては、主人公のモチベーションが上昇志向と一致するのがたいていであって、プロになりたい、金を稼ぎたい、世界に出たい、というレベルから、この試合に勝ちたい、大会で一位になりたい、もっと輝きたい、というレベルまで、それは程度の差こそあれ、幅広く通底している。だが『明日のない空』は、そうした理念をほとんどワキに置いてしまったところで、物語をはじめているのが、ひじょうに野心的だといえる。

 そのことは、主人公たちの東大阪第二高校ハンドボール部が、たまたま遠征で関西に来ていた浦和大附属高校ハンドボール部と試合をするくだりに、顕著である。おどろくべきことに、才谷と古賀のコンビを中心に、東大阪第二高校の面々は、全国クラスの強豪を圧倒してしまうが、彼らの結果に対する執着の必ずしもつよくないことが、相手方の中心選手である我那覇力を唖然とさせる。いや決してそれは主人公たちがハンドボールに熱心ではないということではない。あくまでも彼らのなかでスポーツは、プレイすることの楽しさに目的を限定されているのだ。じじつ、試合の最中、いちばん多く示されているのは、笑顔である。ほんのひととき、ハンドボールに触れられることの嬉しさが、何よりも優先的に表現されているのであって、おそらくそこにこそ、作者が、定時制高校を設定の一つに選んだ理由もあるに違いない。

 先に述べたとおり、才谷の境遇は不幸といってしまってもよい。けれど、不幸そのものがテーマにされているのでもない。むしろ、彼らの姿を通じ、導き出されているのは、極端にいうなら、社会の重力が強まるにつれ、濃さを増す庶民の空気にほかならない。才谷の不幸は、たぶん、その濃さを一身に受けなければならないことの喩えである。浦和大附属高校の我那覇が、彼は金持ちの坊ちゃんであり、たいへん恵まれており、主人公たちの態度を理解できないのは、結局のところ、その空気のありようなのだろう。

 コマ割り、今どきのセンからするとやや角張った絵柄もあってか、庶民に面した目線には、ちばてつや、や、ちばあきお、を、どこか彷彿とさせるものがある。もしかしたら、『プリンセス・オン・アイス』で、ひさびさに女性向けの作品に挑んだことが、ストーリーのデザインも含め、初期のちばてつやにまで遡れるような、マンガの文法を再発見させたのかもしれない。番外編として収められたエピソードなんか、まるで大昔の少女マンガみたいだ。しかしそれが、森下裕美の『大阪ハムレット』がそうであったように、方言の利便も込みで、いかにもだからこその良さに繋がっている。いずれにせよ、時流とは関係なしに、硬派なラインで輪郭の描き出されていることが、魅力のおおきさを担う作品だと思う。

・その他塀内夏子に関する文章
 『イカロスの山』
  8巻について→こちら
  7巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『雲の上のドラゴン なつこの漫画入門』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(09年)
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