もしかすれば、『D-ZOIC』のクライマックスにおいて明らかになるテーマの全体像は、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』(映画版でもマンガ版でもいいよ)に近しいところがあるかもしれない。ユタ(ナウシカ)、ヒトモドキ(巨神兵、科学)、恐竜(王蟲、虫)の三すくみによって、自然や環境と言い換えてもいいような、惑星規模の視点がつくられ、そこから人類の賢しさと愚かさを問うているみたいでもある。だが、このマンガの特徴は、むしろそれを軍記物のスタイルに落とし込み、少年向けのビルドゥングス・ロマンに仕上げている点にあるだろう。戦時下の波乱において、ある種の使命を生まれながらに負った主人公の成長が、正しく英雄譚のごとき盛り上がりを見せる。
もちろん、ワキの人物たちの役回りも、なかなか。フリードやパウルス、ランス等々、さまざまな人びとが、ときにはユタのライヴァルになりながら、ときにはユタと協力しながら、それぞれの国や敵味方の垣根を越え、彼らにしかなしえないチームワークを育んでゆくのである。とくに5巻で、あれだけ対立していたフリードとランスが、ユタの説得を受けて、部隊を組むくだりから、この6巻のハイライト、原国の王都を死守すべく、わずかな軍勢で十万もの冥王軍と激戦を繰り広げる場面まで、派手なスペクタクルをこしらえるのとはべつのレベルにドラマティックな印象を描き出しており、たいへん燃える。じつは残酷な描写も多いが(だいいち人間はヒトモドキの食料なんだし。老兵が突撃死を選んだりとか)、良くも悪くも不快感を免れているあたりに、作者の資質がうがかえる、というのは以前にも書いた気がする。
それにしても、いちばん燃えるのは、やっぱり、主人公であるユタの勇姿だろうね。ユタが、作中の言葉にならうなら「鍵」として特別なのは、その血筋と決して無縁ではないのだけれども、5巻のなかで、親友のフィルがユタを慕って集まった仲間に〈オフタルモスの力なんかじゃない あいつはちゃんと 自分で運命を切り拓いてるんだ…ってさ〉と言うように、6巻において、〈プライドやメンツなんかより “命”の方がずっと大切だってボクは思うから〉と述べるユタに対し、命を捨てようとすることでしか生きられないランスが〈結局 お前って 俺やフリードの対極に生きてるんだよな だからこそ“鍵”に選ばれたのかもしれねぇが…〉と言っているとおり、あくまでも彼の健全で逞しい精神が、物語の重要なキーとして選ばれ、そしていくつもの運命を逆転させているのだ。
最初にもいったが、『竜の国のユタ』並びに『D-ZOIC』は、じつに空想冒険活劇の良作である。完結して十分にそのことを実感する。できれば多くの読み手がこのマンガに出会えることを願いつつ。
3巻について→こちら
2巻について→こちら
・『白亜紀恐竜奇譚 竜の国のユタ』
8巻について→こちら
7巻について→こちら
5巻について→こちら
4巻について→こちら
1巻について→こちら