たとえば、安西信行や真島ヒロが、真っ向からヤンキー・マンガを描いてくれない、というニーズに対して、田村隆平の『べるぜバブ』は応えているふうにも思われる。あくまでも学園を舞台にしながら、周囲からは荒くれと見なされる主人公が、本質的には立派な硬派であったため、不良ヴァイオレンスと少年ラブコメの展開を通じ、男をあげてゆくことになるのだが、しかし、ファンタジーの浮力を用い、現実離れしている(換言するなら、社会的な責任を逃れているかわり、世界規模の危機を持たされている)ところに、きわめて現代的な必然をうかがえる。
石矢魔高校の一年、男鹿辰巳は、圧倒的な腕力を誇り、県下でも不良の生徒ばかりが通う校内においてさえ、注目を集める。ひじょうにシンプルな性格のせいか、ケンカを売られれば二つ返事で買う毎日であったが、奇妙な成り行きで拾ってきてしまった赤ん坊が、人類を滅亡させるべく魔界より寄越された悪魔の、魔王の息子であったことから、ただですらトラブル続きの学園生活に、さらなるハプニングが、しかも非日常なテンションで、重なってくる羽目になってしまうのである。
男鹿になつく魔王の子、カイゼル・デ・エンペラーナ・ベルゼバブ4世は、外見も中身もまったくの赤ん坊であるけれど、彼の従者であるヒルダやアランドロンが〈まだ幼すぎる坊ちゃまが人間界で魔力を発揮するには 触媒となる人間の助けが必要となるのです / どれ程 巨大な電力があっても それを通す丈夫な電線がなければ意味がないでしょう…それと同じです〉と述べるとおり、その育ての親に選ばれた人間の存在次第では、おそろしい脅威となりうる。それこそ、男鹿の親友、古市貴之が〈もしかして人類の未来って…お前の肩にかかってる?〉と冗談混じりに言っていることは、あながち的外れではなく、作品の、基本の動力を教えている。要は、いち個人のピュアな感覚に世界の命運が預けられてしまうわけだが、こうしたプロット自体は、とりたてて目新しいものではないだろう。古くからよくある。また今日でも、酒井まゆの『MOMO』などは少女マンガのジャンルでありながら、これに近しいパターンを採っている。
男鹿と赤ん坊の関係は、ある種の子育てを装っているが、じっさい(すくなくともこの1巻の段階では)そうではない。単純に、親代わりをする主体に父性とでもいうべき感覚が導入されていないのもあるし、結局のところ、『幽☆遊☆白書』の初期における霊界獣のミッションのような、強制的な依頼を受けているにすぎないので、男鹿はその役割を他の誰かに回してしまいたい。子は親を映し出す鏡、という言葉があるが、赤ん坊が主人公に見ているのは、決して父としての人格ではない。あくまでも、少年性の健康と不健全にほかならないのであり、そしてそれは、学園という身近な規範を目の前にすることで、明解に、いや爽快に際立たされる。
ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年07月05日
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田村隆平 べるぜバブ第1巻
Excerpt: 週刊少年ジャンプの第4回金未来杯の読み切りで受賞、その後同誌で連載開始したこの漫画の単行本を心待ちにしていたのは私だけではないはずです。はい、今回紹介するのは田村隆平先生の漫画「べるぜバブ」です。
Weblog: たかいわ勇樹の徒然なる日記
Tracked: 2009-07-07 22:36
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