
今日においては、いかに病的であろうとも、悪人や犯罪者の類をまったくの異常とはせず、彼らにも立派な内面があるとし、それを物語のなかに落とし込むさい、生まれや育ちの問題に還元するというのが、あたかもマナーであるかのようになっている。これが良い傾向なのかそうではいのか、一概には判断をくだせないけれども、サブ・カルチャーの表現を見るとき、すこし注意が必要だと思われるのは、そこからとくに新しいテーマを引っ張り出しているわけではないことが、たいていだからである。要するに、わざわざ、といった程度のリアリティを装っているにすぎないケースが多い。夢がないよね。山本康人の『忍者パパ』は、この7巻で第一部完、いったんのピリオドがつけられているが、クライマックス、家族を守ろうとする主人公と、彼を付け狙う敵役との対決には、もしかすれば遺伝や環境が狂気を生み出す、こうした問題を正しく乗り越えてゆけるだけの力強さを感じられることができ、それが頼もしい。忍者として生まれたばかりに、非情を貫き通さねばならなかった祭のぶ夫は、しかし、現在の妻である綾と出会い、里を抜け、俗世間での平凡な暮らしを選ぶ。やがて、のぶ夫と綾のあいだには二人の兄妹が生まれ、金銭には余裕がないながらも、幸福な家庭を築く。だがもちろん、掟を破ったのぶ夫を、里のトップは許すはずもなかった。家族には自分の過去を隠したまま、差し向けられた刺客を次々打ち破るのぶ夫であったが、かつてライヴァルであった鬼丸の異様な執念の前に、ついに綾と子供たちの身を危険にさらしてしまう。のぶ夫、鬼丸、さらにはのぶ夫に許婚を破棄されたムサシ、三者の思惑が入り乱れての決戦が暗示しているのは、やはり、生まれや育ちによって定められた暗い運命を人は変えられるか、このようなテーマに近しいものだろう。〈わたしは七狗留忍流の里に生まれ……常にエースだった / わたしは鬼丸を返り打ちにして……里を捨てた / 綾との出会いがわたしの人生を一変させた / わたしは幸せを手に入れた… / …ただ…わたしの苦しみは…家族に…血にまみれた過去を明かせないことだった…… 〉とのぶ夫が述べるのに対し、〈11年前…俺はおまえとの闘いに敗れ おちぶれた…みじめだったよ 俺は……絶望の毎日を過ごすだけだった…ただ…生きる糧は…おまえへの恨みの……黒い炎を燃やし続けることだった…〉と言う鬼丸、彼らの分岐はたぶん、運命は一つではないことを教えている。しかして、ムサシが鬼丸に突きつける〈所詮… 貴様は他人を基準(はかり)にしか自分の人生を前に進められない奴よ…〉という言葉は、とても熾烈である。そして、その熾烈さは一方で、のぶ夫とムサシの分岐をも、指しているに違いない。のぶ夫の、血で血を洗うなかでしか生きられなかったはずの運命を変えてしまったものがあるとすれば、綾との出会いであり、家族への愛情にほかならない。さいわいにして彼は、思い遣りのある妻を得ることができた。当然、これは万人にひらかれた可能性を意味しない。とはいえ、それを不可能だと完全に判じた場所で、ただ運命を呪うよりは、希望のニュアンスをたしかに含んでいることが、『忍者パパ』における倫理のたくましさをつくり出している。
2巻について→こちら
1巻について→こちら

いろんな人のブログを見ていました。
参考にしたいと思います。
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