〈オレらは群れなしてねえと何もできねえって世間からは言われるが…まったくその通りでな / 自分一人のチカラなんざ タカが知れてるって思ってるのさ / オレらにとってマシンやコブシは自分を表す言葉で…決して武器じゃあねえんだぜ! 武器はよ 仲間なんだ!!〉
燃えるし、いいこと言ってんだけどな。そのセリフの熱さほどストーリーには熱くなれないというか。どうしてもつい、吉田聡の魅力はこんなもんじゃねえだろう、という気がしてしまう。
一般的にヤンキー・マンガもしくは不良マンガと見なされるものの多くは、軍記物の現代版だと解釈することができるのだけれど、吉田のマンガの長所はむしろ、そういった潮流とは一線を画すところにあったと思う。しごく簡単に述べるなら、国盗り合戦の下位に青春が描かれているのではなくて、青春の像のなかにときおり国盗り合戦があらわれているのであって、構造上、必ずしも血で血を洗うような抗争劇を必要としていない。すなわちそれが、吉田の作品における、軽さ、あかるさとなっていた。
だが、しかし、この『荒くれKNIGHT 黒い残響完結編』には、真っ正面から軍記物の結構に挑んでいるふうな気配を感じられる。もしかすれば、高橋ヒロシなどの後発が、軍記物のヴァリエーションでしかないことによって成功していることの逆影響なのかもしれないが、あきらかに『荒くれKNIGHT』の本編や『黒い残響編』とは、異なったテイストを発してる。血で血を洗うような抗争劇をベースに、きわめてシリアスなメッセージが組まれているのである。
とはいえ、決して成功しているとは言い難い、というのが個人的な感想で、一つには、軍記物にとって必要不可欠な武将の、とくにそのカリズマが乏しいためで、もちろん、じつはそのことが『黒い残響完結編』のテーマなのであり、『荒くれKNIGHT』の本編を、ある種の歴史における表としたならば、この『黒い残響完結編』は、裏を、すなわち歴史の影にまわされてしまった人物たちの姿を拾い、彼らもまた一人一人が重要な役割を担っていた、と証言するかたちになっているのだけれども、そのとき、作中を生きる面々の個性と作品を成り立たせている軍記物のスタイルとが、うまくはまっていない、との印象を持たされてしまうのだ。
『黒い残響完結編』が、軍記物の現代的なヴァリエーションであることは、あくまでも語り部の口を通じ、先達の武勲が後世に伝えられるという形式からもあきらかだろう。
そう、この3巻で、ふいに挿入されているとおり、湘南のトップを走る輪蛇ではなく、あえて二番手に近い位置の虎武羅を選んだ若い世代、すなわち四代目リーダー候補と目される井脇が、先々代のリーダーであり、現在のチームの基盤をつくった大鳥大悟のレジェンドを、先代の一人、稲垣によって教えられる、そのような追想と継承の形式をとっているのである。まあそれがヤンキーの昔語り、おおげさな口承とどこがどう違うの、といった疑問を、とりあえずストーリーの読み応えはまだ、乗り越えられていっていない。
1巻について→こちら
1話目について→こちら
『荒くれKNIGHT 高校爆走編』
11巻について→こちら
最終回について→こちら
10巻について→こちら
9巻について→こちら
8巻について→こちら
・その他吉田聡に関する文章
『ジナス』
4巻について→こちら
2巻について→こちら
1巻について→こちら
『湘南グラフィティ』について→こちら
ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年06月23日
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