ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年06月12日
 枯骨の恋 (幽BOOKS)

 岡部えつの『枯骨の恋』は、作者のことをよく知らぬままに小説を読んでいって、あ、これは当たり、もしかしたら大当たりなんじゃないか、と思えるぐらいの魅力をなしている短篇集だった。全部で七つの作品が入っている。表題の「枯骨の恋」が、第3回『幽』怪談文学賞短編部門の大賞受賞作であるとおり、基本的に、おっかない話が並んでいるわけだが、いやはや、何がおっかないかといえば、現象として題材にされている怪異の数々というより、その根に刻まれている人間の、孤独の、たいへん芯の太い描写に説得されてしまうことが、であって、ほとんどどれもが、三十歳から四十歳にかけての独身で働く女性を主人公とし、今日的な様相のなか、世間的な幸福からは距離のあいた現状を送る彼女たちが、決して手に入れられなかったものを望み、ひどく飢えているかのような感情を持て余しているうちについ、日常から半歩ほど足をずらしたところへ踏み込んでしまう姿を、不吉なほどに生々しくあらわしているのだけれども、そうした断片の一つ一つが必ずしも他人事とはかぎらないことに、心証は引きずられてしまうのである。死した恋人の怨念を慰みにしながら加齢してゆく女性の欲望を捉まえた「枯骨の恋」は、もちろん白眉で、続く「親指地蔵」も、かるく眩暈を覚えるぐらい、すさまじい。外聞上、親友同士のつもりであった三人の女性から一人が欠けたとき、見せかけのバランスによって隠されていた抑圧、嫉妬、蔑視の残酷が曝露される。これを、女の友情はこわい、と通俗化してしまうことは可能だし、フリーランスでライターをしている主人公の、貧困と隣り合わせである生活を通じて、現代の病巣を覗いてしまうことも可能だろう。だがやはり、もっともおそろしいのは、若さでは選び直せない段階にまで人生を進んでしまった作中人物たちの孤独が、真に迫り、悔恨や焦燥ではどうにもならない無力なありようが、容赦なく突きつけられてくることにほかならない。そこで苦々しさに満ちた触感は、「翼をください」や「GMS」などといった他の篇にも通じている。はたまた、「親指地蔵」において、女の友情はこわい、と通俗化できるそれは、卑近な関係性の力学はつねに弱者を欲している、このことの喩えだと言い換えられる。アニミズムを媒介に、長篇への萌芽を見つけられる「アブレバチ」では、加害者と被害者の対が、まったく社会化された場所や理由でのみ起こるのではない、せこくて狭い利己の問題でしかないことが、まるで訴えられているみたいだ。そしてそれを訴えるためには、多くを犠牲にしなければならないにもかかわらず、もしかすれば誰からも賛同を得られないかもしれないことに耐えきれないのが、いちばん、おっかない、のだと皆が知っているので、想像は哀しみを生み続ける。


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(09年)
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