ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年05月22日
〈読解力なんて必要無い / 想像力なんかで補わない / だからアタシは尋きたいの――命の宇宙を突きつけて――冷徹に精密に寸分たがわぬ正確さで――命なんかじゃ物足りない / MONOTARINAI / 命なんかじゃ物足りない / MONOTARINAI〉

 まったく。実在の世界でも、佐木飛朗斗プロデュースで、世界で最高にアナーキーなガールズ・ロック・バンド、ガソリンバニーをデビューさせるぐらいの投資を『ヤングジャンプ』にはして欲しかったものだな。甲斐性なしとは思っていたが、まさかここまで甲斐性なしとは思わなかったぜ。せいぜい、どっかの男性誌と組んで「オトナのマンガ」とかでっち上げてろよ。中身はトッチャンボウヤの慰みでしかないくせに。以上は、『外天の夏』の連載が終了してしまったことに対する完全な逆恨みであり、もちろん、それ以外の何ものでもない。

 まあ、じっさいに編集部が打ち切ったのか、原作者の佐木飛朗斗が途中で放り出してしまったのか、まさか力関係ではいちばん弱そうな東直輝が投げたわけはあるまいが、真の事情を知れない読み手にしたら、好き勝手を述べるぐらいの自由は許されてもいい。それにしたって、佐木がつくり出した宇宙の、相変わらず、罪深きさまよ。カオスに満ち満ちた物語を、また一つ、出口も見えないままに閉じてしまったんだからね。すくなくとも、この4巻の時点では、いったい何がどうなれば正解なのか、まったく把握させないほどの勢いで、カタストロフィに向かい、フル・スピードのスロットルを開けている。

 ところで「マンガ大賞2009」の非ノミネート作品でありながら、この『外天の夏』を激賞しているのが、選考委員の一人、小説家の海猫沢めろん(こちらのPDFの70ページ目で読むことができる→http://www.mangataisho.com/dl_data/comment090324.pdf)で、かなり激しめのアジテーションが、まじなのかネタなのかどうか不明ではあるものの、『外天の夏』もしくは『疾風伝説 特攻の拓』もしくは佐木飛朗斗評としては、なかなか、読ませる。

 海猫沢がいう〈80年代ヤンキー漫画〉の定義は、やや感覚的に過ぎるし、明確さを欠くけれども、『特攻の拓』が他と一線を画したのは〈実は単なる「ヤンキー漫画」などではなく、同種と異種の交流と争いを描いたハイブリッドなヒロイックサーガ(三国志や大河ドラマのような)であった〉からであり、佐木が〈初期から一貫して描いているテーマは「組織統一=全体性の回復」そして「脱アイデンティティ=どこにも属さない者こそがそれを成し遂げられる!」という右翼的であり左翼的であるというアンビバレンツな夢想〉なのであって、そうした偉業的なサーガの集大成こそを『外天の夏』が担っているというのは、十分に説得力のある紹介だと思う。

 さながら国家単位のイデオロギーは弱まり、誰もが他人の目線によるカテゴライズから逃れられず、種々のトライブに分かれ、固まり、排撃と自衛ばかりの過剰化された価値基準を乱立させているような状況下、それが人を人たらしめる本質に拠っているのか、あるいは戦後における制度的なものにすぎないのか、このことを佐木原作の諸作品は、ヤンキイッシュな若者たちの抗争劇を通じ、アレゴリカルに問うているのである。そして『外天の夏』は、こうしたテーマのアップグレード、最新のヴァージョンにほかならない。ほかならなかった、というべきか。

 尊大なロジックで自らの正当性を述べる作中人物の言葉を聞かれたい。しかし彼らは何のための正義に身を委ねているのかを語らない。おそらく、当人たちの従っている主義主張が誤っていないとすればそれは、敵、つまりは自分たちとは違う倫理に従っている者と戦い、打倒し、勝利した結果でしか保証されないと知っているのである。

 街角でナンパされる少女の〈でも大量消費っていいよネ! アタシ達にはその価値があるんだからさ〉と悪びれない声も、じつは同様の無根拠を示すものだろう。彼女たちが、自分に認めている価値というのは、所詮、高度に発達した資本社会の恩恵にすぎず、必ずしも先天的な資質ではないのであって、穿った見方をするなら、ア・プリオリに特別な存在であるがゆえに、大量消費が許されているのではない、大量消費が可能な主体という逆説においてのみ、その価値が許されているにとどまる。

 かつて『R-16』の終盤の展開がそうであったように、『外天の夏』もまた、子供の世界の暴走に並行して、大人の世界の謀略を描いている。しかし、表面上、両者は深く関わっているわけではない。ある意味では、乖離している。これを、佐木の大風呂敷、今までに畳まれたためしのない大風呂敷として非難することもできるし、作品を散らかすばかりの悪癖と見なすのが普通である。もしも『R-16』や『外天の夏』に比べ、『特攻の拓』がすぐれていたとするとき、それはやはり、あくまでも少年誌に発表されたものだからなのかもしれないが、物語の題材を子供の世界に限定することで、筋書きに一定の収まりをつけていたためでもある。

 だがもちろん、『R-16』や『外天の夏』における大人の世界の導入とは、あの『特攻の拓』を象徴する天羽時貞の悲劇を、根底にまで掘り下げる、本質的な背景を拡張していこうとする試みにほかならない。活動の舞台をヤング誌に移し、読み手の層を青年以上に想定するのであれば、より複雑な問題の提起は、当然の帰結だともいえる。そこにあらわされているのは、たぶん、父性なき父権であり、母性なき母権であり、その集合体であるような社会がすでに一般化され、構造的には何ら不合理なく機能していることの不幸だ。

 思い出すべきは、天羽時貞の認識にとって、家族の絆は、資本制もしくは巨大なシステムの下位に置かれ、そこから絶対に脱しえないと感じられることが、この世界の不浄と過酷な運命を強いていたのである。話を『外天の夏』に戻すなら、政財界につよい影響力を持ち、金本位制の実現を目指す巻島宗親、彼とその妻であり、四人の娘を自らの所有物として扱う玲子が、作品のなかで、徹底された資本システムの強度を代弁する役割を果たしている。こうした両親の思想に、まさしくヒロインの亜里沙と亜芽沙は抑圧されているのであったが、ここに親子の対位法を用いることは、おそらく、できない。すくなくとも佐木は、もっとべつのベクトルを作中人物に与えている。

 この4巻までに描かれた『外天の夏』の物語では、大人の世界と子供の世界は、すくなからず等位になっていると考えていい。家族の関係だけが、たんにその序列を定めているにすぎない。どちらが大きい、どちらが小さい、ということはないのである。したがって片方がもう片方を覆ってはいかない。これが両者を乖離させているふうにしてしまう要因でもあるのだけれど、双方ともに独善的な精神が先んじた価値基準を生きているという意味で、まったく同様のテーマを負っている。

 たとえば巻島は、夜会に招いた議員を前にし、〈“流儀”“見識”“美学”…どんな男であっても戦う事から逃れられんのだ…〉と言い、〈誰もが…人類の誰もが暴力を否定する / 譬え“蹂躙する側であっても否定するだろう…〉と言いながら、現代の誤謬を資本制に求め、金本位制によってその乗り越えを訴える。妻の玲子の場合はさらに、男の価値とは〈どんなに莫大な“権威と叡智”“名誉と資本”も無意味…価値とは『何を敵とし如何に成し遂げたかを証明する事で』で計り得る〉とし、女の価値とは〈尊く美しいのは人生…肝要なのはその“偉大な価値”を持つ男に…どれ程尊く…“美しい人生”を支払わせたかで計り得る〉とする。彼ら夫婦はたしかに、資本制の本質を見、社会を判じてはいるが、しかし、あくまでも私的な個人主義の敷衍であって、そこからこぼれ落ちてゆく者を決して救わない。

 こうした利己と正義の同一視に対して、何のためにかくあるべきか、のアンチテーゼを加えることが、主人公の天外夏に課せられた役割であり、そして暴走族同士の苛烈な殲滅戦に紛れ込んでしまった彼が、それを回避させていった先でこそ、獲得されるに違いない主題だろう。主題のおおよそはあらかじめ見当がつけられている。友情の絶対性、愛情の絶対性、もしくは絶対的な友情のあること、絶対的な愛情のあること、必ずしも物質の形式に囚われることのないそれら、であるはずだ。

 しかしそもそも、そのような議論自体が抽象の概念を汲んでいるので、整合性の高い立証を物語化するのは、ひどく困難だといわざるをえない。取り組み自体は、当然、立派であるものの、最初に述べたとおり、『外天の夏』は、ほとんど未完結の状態で連載を終了してしまった。事情はどうであれ、作品の力及ばずのことだから、こればっかりはいただけない。巻末の予告によれば、完結編となる5巻には、大幅な描き下ろしがあるらしいので、せめて納得のいくピリオドが打たれていることを期待したい。

 ※この項、いずれ書き改めるかもしれません。

 3巻について→こちら
 2巻について→こちら
 1巻について→こちら
 
・その他佐木飛朗斗に関する文章
 『爆麗音』(漫画・山田秋太郎)
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら  
  1巻・2巻について→こちら
 『パッサカリア[Op.7]』(漫画・山田秋太郎)について→こちら
 『[R-16]』(漫画・桑原真也)12巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(09年)
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