ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年01月19日
 ALL YOU NEED IS KILL

 遅ればせながら、東浩紀が「ゲーム的リアリズムの誕生」(『ファウスト』VOL.6 SIDE-A掲載)という文章のなかで取り上げていることから興味を持ち、読んだ。つまりネタそのものというか、小説の骨格がどのようなものかは、あらかじめ知っていたわけだけれども、いや、しかし、にもかかわらず物語をきちんと楽しむことができたのは、構造だけではなくて、その内実がしっかりと備わっているからだろう。ゲーム的リアリズムか、なるほどねえ、言い得て妙である。桜坂洋『All You Need Is Kill』のアウトラインをシンプルに取り出せば、次のようなものである。ギタイと呼ばれる敵との戦争の最中、主人公であるキリヤ・ケイジは、はじめての実戦で、死ぬ。次に訪れるのは、出撃前日の風景である。彼は最初、夢を視ていたのだ、と理解する。が、ちがう。2度目の、はじめての実戦に向かった彼は、ふたたび、死ぬ。目覚めると、やはり出撃前日の風景であった。要するに、繰り返しているのだ。そのように幾度となくループする生と死のなかで、彼は、強さへと繋がる経験を積んでゆくこととなる。

 東浩紀は、その、キリヤの置かれているポジションを指して、プレイヤーといい、同じ戦場上にありながらも、リプレイであることを意識していない(できない)彼以外の登場人物たちを、キャラクターのレベルに置かれているという。もちろん読み手が感情移入するのは、プレイヤーのレベルにいる主人公に対して、である。そしてプレイヤーは、複数の物語(もうすこし正確にいえば、リセットされるごとにヴァリエーションの増える物語)におけるキャラクターの死を通じて、複雑な倫理に基づく生の一回性を問題視することとなる。〈ゲーム的リアリズムは、キャラクターの死を複数の物語のなかに拡散させてしまうかわりに、その複数制に耐える難解な生を描き、キャラクター・レベルとプレイヤー・レベルの二層構造を導入することで現実を作品化する〉と東がいっているのは、つまり、そういうことであろう。

 だが、そのように考えるうえで、重要なのは、小説内に組み込まれているゲーム的な論理、たとえば、作品中に頻出するフラグと呼ばれる概念や、主人公がとある登場人物に〈敵を倒すとロールプレイングゲームみたいに強くなるんですか?〉と問うような感性を、読み手の側が共有していなければならない、ということである。もちろんイマドキほとんどの読み手が理解できないことはないだろうが、その理解を前提としなければならないところに、僕は、強さと同時に弱さを、見る。あくまでも共通のコードに頼らなければ、物語の強度は、最大限に発揮されないからである。裏を返せば、コードのない読み手の場合、リアリズムそのものが発生しない。それは敷衍すれば、人間同士のものとして、戦局が描かれていないといった部分にも関わってくる気がする。というのも、戦闘の是非は、ここでは、侵略に対する抵抗といった解釈により、棚上げされる必要がある。そのために、敵は、他者(人間)ではなくて、異者(エイリアンやモンスター)でなくてはならない。しかし、現実の戦争においても、おそらく、粉砕すべき敵というのは、つねに異者になるのではないだろうか。どうにもうまく言えないが、たぶん、異者がダイレクトに異者として表されてしまう、そのことがリアリティの担保となるとき、表現の域においては、何かべつの脆弱性が潜んでいるように思う。

 当然のようにそれは、異者が攻めてきたときに、武装解除したまま死ね、ということでは、けっして、ない。また、この小説に対する批判でもない。最初にいったが、僕はこれを楽しんで読んだのである。

*追記
 すこし考えてみて、そんなに難しい話ではない気がした。P157あたりに示されているとおり、ここで行われているのは、要するに、殲滅戦なわけである。敵か味方かどちらかが、滅ばないかぎり、戦いは終結しない。それは絶対的なルールである。が、しかし、それは読み手の水準において、開示されているにすぎず、登場人物の与り知るところではない。ラスト間近で主人公が〈人類の勝利で終わらせる〉というとき、それはおそらく、愛する人が守ろうとした人類のために、ということの言い換えであるわけだけれども、彼はおおもとのルールを知らないにもかかわらず、これを殲滅戦として勝ち抜く決意をしているふうに見える。たしかに読み手にしてみれば、この彼の在り方は正しくエモーショナルである、のだが、物語の水準に立ち返れば、戦時下における凡庸なイデオロギーに拘泥されているに過ぎない。はたして作者は、そうしたパースペクティヴを意図的に混同しているのか、そうではなくて無意識なのか、その部分をどう読み取るべきか、といったところに僕は引っ掛かりを覚えた、うまく判ぜられない、というわけだ。


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(06年)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。