ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年01月19日
 『文藝』06年春号掲載の短編。ある種の欠損を抱えた人間が、その欠損込みの自分を自分として、暗くならず、明るく引き受ける、というモチーフは、『セーフサイダー』あたりにも顕著であったように思うけれど、宮崎誉子にとっては象徴的な一側面であるといえるだろう。〈僕は中学生で喋るのがとても苦手だ〉、何かを言おうとすると吃りがちになってしまう、〈反論する言葉を選ぶよりもあきらめ〉てしまう。だからクラスでもよくからかわれる。隣の席の中谷さんにもからかわれる。それでも〈僕〉は中谷さんのことを考えてしまう。罵られても、喜ぶ。と、〈僕〉の語りはその性格からして、ダイアローグとはならずに、モノローグ的に機能することが多いわけだけれども、しかし、小説内の時間経過がほぼ「かぎかっこ」による会話とイコール、といった、この作家ならではのスタイルがキープされているのは、ここで司会進行役をつとめる〈僕〉が、喋らない人であるかわりに、話を聞く人だからである。つまり、〈僕〉以外の人間がちゃんと饒舌であってくれるからである。それは中谷さんであったり、母親であったりする。そのようにして『ミルフィーユ』のストーリーは動く。が、ストーリーなどといったところで、これこれこうでこう、みたいなドラマが用意されているわけではない。むしろ〈僕〉は、そうしたドラマの立ち現れてこない最中を、まるで傍観者のように、見て過ごす。その視線の先に、ぼんやりとして浮かんでくるもの、それこそがもしかするとエモーションなのかもしれなかった。個人的にはセンスがマッチしないせいで、興ざめするような言葉の羅列も、このぐらいの短さであれば、それほど気にならない、どころかテンポよくするのに役立っている。

・その他宮崎誉子の作品に関して
 「チョコレート工場の娘 不登校篇」については→こちら
 『日々の泡』については→こちら
 「ガシャポン ガールズ篇」については→こちら
 「少女ロボット(A面)』については→こちら
 『セーフサイダー』については→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(06年)
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