ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年01月18日
 『群像』2月号掲載。僕は、宮崎誉子の描く労働者たちが愚痴りすぎることに、ちょっとね、と感じてしまうタチなので、佐々木敦だったか永江朗だったか忘れたが、宮崎の小説は人の働く姿が良い云々といって褒めていたのを読んだときには、げえ、となってしまった記憶があるのだけれども、この『チョコレート工場の娘 不登校篇』は、学校へ行かない決心をした11歳の少女が、父親の経営するチョコレート工場で働く、その姿を捉まえた小説である。まあ11歳の少女が、大人に混じって働くといった部分からして、ある種のファンタジーになっているわけだが、作中で映画『チャーリーとチョコレート工場』に触れていることから、インスピレーションはそこいらへんではないかな、と推測できる。ところで最近気づいたのだが、僕が宮崎のどこいらに惹かれるかといえば、たぶん、登場人物(おもに女の子)たちのタフさ加減に、なのである。だから翻って、ときおりナイーヴな一面が披露されたりすると、思わず心に染みいったりもしてしまう。そしてそのタフさというのは、あの斜に構えた態度(ダイアローグ)をもって、表されているに他ならない。それが行き過ぎると、先に書いたように、愚痴っぽいよなあ、という反感になってしまうのだが、適度なバランスで決まると、ものすごく効果的だ。で、決まっているかどうかの判断なのだけれども、そのことはおそらく作品の長さと密接に関連している。宮崎の場合、登場人物たちの会話が物語内の時間を進めるため、文量が増えれば、比例して、会話も増える。すると無駄口(すくなくとも読み手にはそう思えるもの)も増加してしまいがちだ。いきおいバランスも悪くなる。この『チョコレート工場の娘 不登校篇』に関しては、やはり、すこし、長い。序盤と終盤、とくに終盤、主人公がイジメに抗うところが良いのだが、中盤やや厳しかった。もちろんクレヴァーな作者は、そうしたスタイル上の欠点に自覚している、だからこそ「〜篇」だとか「〜面」みたいな感じで、ひとつの題材を、長尺にではなくて、いくつかに区切り、パラレルに扱うのだろう。が、しかし。

・その他宮崎誉子の作品に関して
 『日々の泡』については→こちら
 「ガシャポン ガールズ篇」については→こちら
 「少女ロボット(A面)』については→こちら
 『セーフサイダー』については→こちら


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(06年)
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