ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年04月15日
 『週刊少年チャンピオン』17号の、「MY FAVORITE!〜私が愛したチャンピオン作品〜」という特集記事のコメントによれば、古谷野孝雄は、石山東吉のアシスタントから出てきたのだという。ある意味で生粋の秋田書店っ子ではあるが、同じく石山のもとから登場してきた哲弘が、そもそもが石山の師匠格にあたる車田正美のパロディをにおわせるような作風なのとはまた違う印象で、どこか、旧き良き時代の『週刊少年ジャンプ』的なイディオム、矜持を持っているのは、なるほど、それもそれとして一因にはあるのかもしれないな、と、かなりの牽強付会にすぎないのだけれど、評論家によって語られないマンガ史とでもいうべきを、しばし妄想させられる。しかしまあ、そうした余談はさておき、いよいよ本筋も佳境に入り、がぜんヒートをアップさせているのが『ANGEL VOICE』の10巻である。当初は、問題児ばかりで再出発された市立蘭山高校のサッカー部であったが、部員たちがみな、それぞれにドラマを経験し、乗り越え、練習に励み、全国高校サッカー選手権は予選を勝ち抜いて、ついに県内のベスト8入りを果たす。ここで彼らの前に立ちはだかるのは、強豪中の強豪、船和学院であった。市蘭のサッカー部を指導してきた監督の黒木が述べるとおり、たしかに試合に勝つべく〈やれることはすべてやった〉が、才能と修練の双方を完璧に備える船学相手に、それが通じるかどうか、まさしく最大の正念場が迎えられる。いやはや、船学の強さときたら、まさか、こんなにも圧倒的だったとは。『ANGEL VOICE』の物語を、あくまでもリニアな流れで見たさい、船学の実力はすでに以前の段階より示されており、やがてライヴァルとして相まみえることもうかがえた。したがって両者が対決するであろうとき、その差を市蘭のメンバーがどれだけ埋められているかこそが、作品の全体にまたがるカタルシスへ繋がってゆくはずだと考えられた。すくなくとも、中心人物である成田たち、一年生部員の成長と活躍をベースにし、いっけん地味に、しかし魅せるところは魅せながら、こつこつ描かれてきたのは、そのための説得力だったといっていい。だが、〈技術ある者には技術で応じ / 力ある者には力によって捩じ伏せる / 才能に恵まれし者が幼少より積み重ねた鍛錬と研鑽 / 他者の追随を許さず / 欲するは3年連続高校3冠〉という船学のすごさは、市蘭の一人が〈勝つもクソもあるかレベルが違い過ぎんだろ〉と喘ぐほどなのであって、まったく敵わない。当然、まだ試合は序盤も序盤であるし、ここから逆転の糸口、突破口がひらかれることを信じたいところなのだけれども、さあどうか。むしろ点差は広がっていくばかりである。そこでフィクションの内に働いているのは、ご都合主義やガンバリズムだけではどうにもならないような、現実性にほかならない。もちろん、そうした現実性を前に、市蘭のメンバーたちがくじけてしまったなら、フィクションそのものが成り立たない。自分の運命は自分にしか変えられない、変わらないと断定されてもなお、変えようとしなければ、未来は閉じる。廃部の約束がかかっている以上、絶対に負けられない。負けるわけにはいかない。このような厳しくつらい展開を、作者はいっさいの手をゆるめることなく、より過酷にしていき、それでいて必ずや希望は信じられること、決して諦めてはならないことが、あまさず熱量化され、描き込まれているので、知らずのうち手に汗握るものが生まれてくる。ここに至るまでのストーリーにおいて、『ANGEL VOICE』の題名に示されている、その、天使の声が、市蘭のマネージャーをつとめる麻衣の存在と不可分であると、あかされている。天使の声とはたんに、不思議な魅力を持った彼女の歌を意味するだけではないだろう。元来はヒールであったため、市蘭の活躍を応援する人間は、ほとんどいない。しかし、もしもわずかにでもいてくれさえすれば、いかに心強く、ありがたいことか、彼女のポジションには象徴されているのである。それが奇跡を起こすかどうかはまだ知れない。が、たとえ奇跡が起こらなくとも、奇跡を見るよりも感動的な、たしょう大げさにいうなら、魂とでもいうべき真剣さを、少年たちの姿は、とうに伝えている。

 5巻について→こちら
 3巻について→こちら
 1巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(09年)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック