ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年04月11日
 立原あゆみのマンガには、現代を舞台にしているものが多く、したがって現実の時代風俗を参照している場合が多い。この文庫版『本気!』の7巻では、ポケベル(ポケット・ベル)の使われているシーンがあって、へえ、そうか、その頃の話に作品が入っていることを教えてくれる。ヤクザは地上げ、投資、土地を転がし、莫大な利益をあげるようになっている。動かされる額もずいぶん景気がいい。こうした背景は、じつは、主人公である本気(マジ)に与えられた役や、彼と関係する人物たちの構図にも、影響を及ぼしている。

 たとえば、染夜の存在などは、経済系の新式ヤクザと武闘派の旧式ヤクザという対照において、本気のライヴァルとなりえていたはずであった。いわんや、本気は後者である。しかし、武闘派のヤクザのままでは極道の世界を生き残れなくなってしまった、さらには上に立てなくなってしまったことが、おそらくは、物語上で働く主人公の機能を変えており、染夜とのライヴァル状態をも解消させている。もはや、本気は金の価値に対して無垢ではいられない。もちろん、がめつくなったというわけではない。執着のなさは相変わらずといえる。ただ、どうしても金を手段として必要にせざるをえない局面がこの世界にはある、と受け入れられているのだった。

 取り込み詐欺の被害者から相談を受けた本気と弟分の次郎のこういうやりとり。〈兄貴 / 話聞いてみると / とんでもないやつですね / また別の会社つくって悪さしているんでしょうね〉〈そういう悪がいるから / オレたちも食っていける / 法律のザルの目ぬけて生きていくやつがいるからよ〉〈違います / 兄貴 / そういう悪からかたぎの人守るためにオレたちがいます〉〈わりい / そうだったな〉〈はい!〉と。こういうやりとりは、作品のなかの現在で主人公に与えられている役割を適確に代弁している。次郎の〈はい!〉という嬉しそうな声がいい。次郎がどれだけ、本気に感化され、信頼しているかが、伝わってくる。

 主人公の武闘派で旧式なヤクザからの脱却は、戦略的な面においても、すみやかな効果をあげている。渚組と集優会の緊張が高まっていくなか、本気が先手を取ることができたのは、正月の慣例に束縛されず、動くことができたためだ。一個の土地をめぐる争奪戦に突破口を見出した次郎は、そのキー・パーソンである老人に、今にでも会いに行くことを本気にすすめる。〈兄貴すぐに〉と言う。これに本気は〈松とれんうちは失礼じゃろ〉と最初は断るのだけれども、〈何言ってんすか / 松とれたら集優会も動き始めます / 出入りするわけじゃねえ / 動いても極道の仁義にゃはずれんでしょう〉という次郎の訴えに促される。じっさいこれが、集優会の、とくに武闘派である奥村を出し抜く結果を導いている。

 しかるにそれが、必ずしも、ずる、と見られないのは、たしかに〈出入りするわけじゃねえ / 動いても極道の仁義にゃはずれんでしょう〉であるからなのだが、もうすこしべつの方便、すなわち世俗VS神聖とでもいうべき傾向が、作中によりつよまっていて、主人公の行動理念は、そのベクトルのありようによっている、というのもある。この文庫版にかぎらず、シリーズの全編を通して眺めることができる今日の立場から述べるなら、『本気!』とは、いうなれば、あの手塚治虫の『ブッダ』の、立原あゆみのヴァージョンとして解釈されても構わない。本気のパンチ・パーマがシャカ族の王子シッダルタのそれを思わせるのは伊達ではないのだ。と、まあ、これは冗談半分であるけれども、煩悩から出発した主人公が、苦難、苦悩、苦行を経て、悟り、聖人化してゆく過程が、一つの篇を長く編んでいることは疑いようがない。そうして、この巻で挙げるなら、忘木のような、怖いもの知らずで傍迷惑な者でさえも改心させ、じょじょにシンパを増やしていく。次郎などは、さしずめブッダの高弟だろう。

 もっとも『本気!』に関しては、久美子とのピュアラブルな恋愛が大元にあり、野心や欲望からの離脱を本気に強いているのだが、それにしても驚かされるのは、彼のストイックさよ。クリスマスも大晦日もバレンタインも一人で過ごすかい。どれだけ惹かれようともヤクザに堕ちた人間と良いとこのお嬢さんでは住む世界が違いすぎる。〈そうです / 久美子さん / あなたも関係ねえお人だ / ただオレの目にうつる風景の中にきれいな花が咲いていたって許してもらえる / ま…何を考えたって始まりません…………久美子さん / オレはあなたが元気でいてくれるそれだけでいい〉と心に願うのみなのである。またこの願いが、せつないドラマを生むこととなる。

 ところで、先ほど触れた土地の件、キー・パーソンである老人との面会にさいして、この文庫版でいうなら前巻の、大阪から東京へ戻ってくるくだりで出会った幼女が、まさか関連してくるとはな。おそらくは、いや、ほぼ間違いなく、後付けのご都合主義でしかないのだが、そうはいっても、あらかじめ用意周到であった可能性も捨てきれない、すくなくとも読み手の与り知らぬところで、ほとんどの人物が、無駄には登場せず、何かしらの役を負っている、という辻褄が合わせられている、これぞ立原マジックである。ここには、施設で暮らす孤児のすずめとアキラの別れが描かれているけれど、この二人もたしか、物語のずっとあとのほうで再会するんだよね。そのようなサプライズがあるたび、伏線や仕掛けというのとはまったく違うにしても、作者はよく忘れなかったな、と感心する。

 6巻について→こちら
 5巻について→こちら
 4巻について→こちら
 3巻について→こちら
 1・2巻について→こちら

・その他立原あゆみに関する文章
 『恋愛』
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『極道の食卓』
  8巻について→こちら
  7巻について→こちら
  6巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『仁義S』
  9巻について→こちら
  8巻について→こちら
  7巻について→こちら
  6巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
 『ポリ公』
  4巻について→こちら
  2巻について→こちら
 『月の教室』について→こちら
 『喰人』1巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(09年)
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