あのときの興奮がよみがえる、というのは、いかにもクリシェであるけれど、当日、会場に居合わせた者からすれば、あのときの興奮がよみがえって仕方がない、というのは、まぎれもない事実である。
DVD『ARASHI AROUND ASIA 2008 in TOKYO』には、昨年(08年)の9月6日、東京は国立霞ヶ丘競技場に、むんむんと充ち満ちていた歓喜に歓喜と歓喜が、余すところなくパッケージされている。超が付くほどに大スケールなコンサートの、見事に映像化された模様は、おそらく、居合わせることのかなわなかったファンにも、十分に追体験の感動を与えると思う。
嵐(ARASHI)の5人によって繰り広げられるハイパーなパフォーマンスに7万ものオーディエンスが沸く、ちょっとしたロック・フェスティバルをはるかにしのぐ光景は、全編がクライマックスというに相応しい。しかし、やはり、最高の瞬間として挙げたい、はげしく圧倒されるのは、2枚組ディスクのうち、DISC 2の冒頭、ショーの中盤、いったんのブレイクを挟み、聖火の燃えさかるなか「Re(mark)able」が炸裂、そして続けざま「truth」へとなだれ込んでゆく場面であろう。
尋常じゃない。ほんとうにやばい。こうしてふたたび、そうして何度観返しても、心のヴォルテージが、マックスを超えて上がる。過去にもさんざん述べてきたが、90年代のラストに登場し、そのまま00(ゼロ)年代を突っ走り、まさしくタイトなパイオニアとして、時代の寵児にまで昇り詰めたグループの、そのキャリア、勢い、ポテンシャルが、驚愕のワン・シーンにおいて、遺憾なく発揮されている。
そのようなハイライトが、どうやってつくられていったか。あたかも、プロローグのごとく、ドキュメントのように、DISC 1の最初に置かれている今回のコンサートのメイキングで、あかされている。メンバーの一言、スタッフの協力、リハーサルの最中にも、アイディアは密に練り上げられ、完璧が目指されている。さらには、ショーを設計する段階にあって、松本くんがどれだけキーの役割を果たしているのかが、よくわかる。
また、本編との関係性でいうなら、オマケにあたるパートであるけれども、国立霞ヶ丘競技場での公演を含む2度目のアジア・ツアーのために用意されたナンバー、「Re(mark)able」のレコーディング過程が記録されているのも、貴重だ。
バックのトラックを聴きながら、ノートのパソコンでエディタの窓を二つ開き、ラップ詞の作成に頭を悩ませる櫻井くん、そこからじょじょに楽曲が、完成へと近づいていく様子は、歌を吹き込むさいの苦労、工夫に各人の個性もよく出ていて、へえ、こんなふうになっているわけかあ、裏側をのぞけることができるのは、たいへん興味深い。
コンサートの終盤、「言葉よりも大切なもの」が披露されている途中、櫻井くんが天を仰ぎ、歌い終わり、そのことを伝えられた二宮くんが、マイクを通さずに、え、という表情で「雨」と口を動かすのを見、そういえば、たしかにあのとき、雨が降り出してきたんだったな、と思い出す。
最初は気のせいかしら程度の降りが、だんだんとつよまっていたのだった。野外のイベントで雨天になってしまうのは、ふつう、残念でしかないが、しかしそれがちょうど、最後の最後になってやって来たのは幸運である以上に、嵐という語の字義、そしていくつかの楽曲にあらわされた歌詞のイメージも込みで、このグループのアンコールにぴったりなシチュエーションとなりえていたのは、まさしく奇跡のよう。
まさか、それを予想していたわけではあるまいね。締め括りが、アップ・テンポなミクスチャー・ロックのテンションで、〈Rainy Cloudy Fine Today〉とうたわれる「五里霧中」であったのは、今こうして振り返ってみても、できすぎである。
雨のはげしくなっていくことが、天すらも味方につけているみたい、すぐれた演出となって、ステージ上、ありったけの声援を受け、手を振る5人の魅力に還元されてしまう。あのときの、信じられないぐらい、すばらしくすばらしかった興奮が、まざまざとよみがえる。終演後の雷。すべての印象を、たぶんずっと、忘れることがない。
『Believe/嵐|曇りのち、快晴/矢野健太 starring Satoshi Ohno』について→こちら
『beautiful days』について→こちら
『truth / 風の向こうへ』について→こちら
『Dream“A”live』について→こちら
『One』について→こちら
『いざッ、NOW』について→こちら
9月6日『arashi marks ARASHI AROUND ASIA 2008 in TOKYO』について→こちら
やっぱり参加されていた方は更に感動でしょうね。
わたしは、あの会場にいませんでしたが、
『Re(mark)able』から『truth』への場面では鳥肌が立ちました。
最後の雨の映像も、あの日に雨が降ったからこそで、
本当に上手くできていて、全然嫌じゃないなぁと思いました。
ただの雨音が、素晴らしく意味のあるもののような気がしました。
数日前にUPされてる『ストロボ・エッジ』の記事、
読みたくてうずうずしてるのですが、実はまだ買ってないんです。
ずっとずっと5巻が待ち遠しくて、何度も1〜4巻を読み返してました。
1巻の最初の数ページ以外は殆ど読み飽きません。
明日買いに行く予定です!!
で、読み終わったら、もりたさんの記事も読ませていただきますね。
ほんと『Re(mark)able』から『truth』の流れはやばいですね。ふつうにCDで並べて聴いても曲調がマッチしていて最高なのに、最近は音だけ耳にしてても映像が浮かんでくるようです。
それから『ストロボ・エッジ』の最新刊、もしも読んだら安堂くんのことをどう思ったか知りたいです。個人的に今回は、彼がすごくかわいらしくて、たまらないのです。
こちらのブログへは、椎名軽穂さんの『CRAZY FOR YOU』の感想から入って
そして音楽レビューで嵐の最新国立ライブDVDのレビューを発見したわけです。
椎名さんの漫画の、ある種の感情のエッセンスみたいなのの抽出にこだわる感じが気になって、他の人はどんな風に読んでらっしゃるのかなと思ってもりたさんのレビューで出てくる「絶対評価的恋愛」と「相対評価的恋愛」というキーワードで見えてくるものがありました。椎名さんは、どこかきっと遠くから星を観察するような丁寧さで人の心の動きを観察分析している感じがあってそれがきっと読んでいる人に、どんどん、キャラクターたちの「絶対的」レンズから「相対的」レンズを通して互いを見合うあの独特の心情の変化が、まるで散文みたいにじーんとくるんですね。
あ、すいません。嵐のコメントでした。
私は国立は前日のライブに行ったのですが、あの日かえってからセットリストをPCに入れて、ずっとそれを聞いているくらいあの時の興奮が続いていました。出先でMP3からRe(mark)ableが流れるとぶるっとするくらいに。
今回のもりたさんのレビューでご指摘のあったあの5人の90年代最後の年にやってきて、そしてこの00年代に何か炸裂するものを見せてくれている感じさせる熱とか風とかに私も共感してしまいました。
「感情のエッセンスみたいなのの抽出にこだわる感じ」というのは、そうか、そうだなあ、と、たいへん納得させられてしまいました。昔の作品の、目的地がわかっていないような登場人物たちが右往左往している作品も好きなのですが、「君に届け」のような目的はわかっているのに登場人物たちが右往左往してしまう作品も好きなのは、結局、その抽出されたエモーションが適確だからなのかもしれない。いや、適確というか、登場人物たちのやわらかな感情の、すくい方みたいなものが、どこを押さえたら壊れてしまうのか、それをすこしずつ確かめるかのような、丁寧さがあるのでしょうね。
「Re(mark)able」からの流れはほんとうに、ぶるっ、となります。今でもあの瞬間はほんとうに奇跡のようだと思っています。生きてきて良かったと感じられるほどに。大げさかもしれませんが。