ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年01月13日
 ファウスト vol.6 SIDE―B

 SIDE-Aに関しては書きそびれてしまった。が、一言だけ。そのSIDE-Aの、佐藤友哉「レディ」のなかに〈顰蹙という言葉は使わないこと。何があっても、口にすべき言葉ではない〉とあるのを読んで、高橋源一郎のことか、と思った僕は、なんて卑しい人間なんだろう。ま、それはそれとして、SIDE-Bである。個人的には、たぶん相性なのだろうが、新伝綺にはやはりあまり感心を覚えず、むしろ新伝綺組で一冊、メフィスト組で一冊という感じで割り振ってくれたほうが嬉しくもあるのだが、そうすると誌面のヴァラエティの問題とぶつかってしまうのかもしれない。しかし佐藤友哉は、こちらSIDE-Bに収まったほうが、しっくりとくる気もするし、福嶋亮太の批評『小説の循環』(第2回)の内容ともリンクしたのではないか。その福嶋の『小説の循環』だけれども、いや、おもしろい、のだが、やや難しく気取りすぎな気がして、どうだろう、あんがい入り口は狭そうだ、でも、読ませるとは思う。舞城王太郎と西尾維新に関しては、良くも悪くも、危うげなく、それぞれの作家性の生きた小説を書いている。とくに西尾は『新本格魔法少女りすか 夢では会わない!!』がよかった。こういう、メタレベルによじ登って眺める青臭さこそが、僕の望むものであるかもしれなかった。さて。北山猛邦『糸の森の姫君』は、さいしょ、未成年の少女が保護者に虐げられる話か、と思い、もうそういうのはいいよ、と思いもしたのだけれど、ちがった、友情の話であった。いまどき至極まっとうな友情小説として、たかく評価したい。しかし、さすが浦賀和宏にとどめを刺す。

 最悪の読後感だ。

 褒め言葉である。作品の出来不出来ではなくて、内容のレベルで、いっさいの希望がなく、読み終えて、ひさびさに具合の悪くなった小説なのである、浦賀和宏『リゲル』は。この高度な達成にも似た、ふかい絶望は、もはや浦賀にしか為しえない、そういう域のものであろう。どこにも希望がなく、誰も助からない。いや、救いはあるのか。しいて言えば、妄想への陶酔と地上からの消滅がそれにあたるのだろうが、けっして生きていくうえでの救済にならないのであって、そのような意味で、やはり希望のない物語だとしか言いようがない。「お前の死体を全部食うからさ」と登場人物のひとりが口にしたときには、この人は相変わらずだなあ、という余裕もあったのだが、基本的に10歳の少女に感情移入しながら読むでしょ、そしたら最後が、あの有様である。なにも、そこまで書かなくとも。生き残ることこそが、自意識の消去されないことが、まるで孤独であり、悲しみのようではないか。と、『リゲル』は、同作者の獣シリーズ3話目にあたるわけだが、1話目と2話目と同じように、世界から切り離された閉塞した状況を、小さく切り取られた世界そのものとして機能させている、しかし、その小さな世界の住人たちは、大きな世界のほうへは関与できない、丁寧に作りあげられたミニチュアというか箱庭ふうの世界が、現実の圧力の前に、跡形もなく、叩き潰される。無力さのなかで嘆くことは、結局のところ、無力でしかないのである。これ、元ネタは藤子・F・不二雄の『絶滅の島』じゃないかな、違うかな。ところで高河ゆんのイラストなのだが、あきらかに描かれている豚のサイズが、本文中の記述と違っているのだけれども、それを指して、イラストーリーというのだろうか。謎である。

 VOL.5についての文章→こちら
 VOL.4についての文章→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(06年)
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