ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年03月25日
 ハロルド作石といえば、今や『BECK』の作者であろうが、ロック・マンガとしての萌芽はすでに『ゴリラーマン』の時点であった。そしてそれは、日常から浮遊した文化祭の夢であり、思春期の名残となってあらわれる幻であった。これと同様に、佐木飛朗斗の(正確には佐木が所十三に原作を預けた)『疾風伝説 特攻の拓』からもまた、ロック・マンガへの指向を見てとれる。言うまでもなく、あの、死によって永遠のカリスマを得た天羽時貞の存在と、まさしく彼のギター・ヒーローたるハイライト、増天寺にて行われた大規模なコンサートのことである。が、しかしそれもまた、一度失われたなら二度とは取り戻せない、夢幻のごとく、であった。いささか後付け的ではあるけれども、そこには、今日のように毎夏のロック・フェスティバルが恒例化する以前の、ロマンとロマンの敗北とが、限りのある学園生活の姿を借り、縫い込まれていたのかもしれない。

 現在、佐木が山田秋太郎と組んで発表している『爆麗音』は、ハロルドの『BECK』がそうであったのと同様、ロック・ミュージックを直接の題材とし、学校の外側を生きる人々のロマンを、小さなライヴ・ハウスからはじめ、大きなスケールのひらけているところにまで持っていこうとしている。22歳のフリーターである主人公の歩夢が、さまざまな才能と出会い、ギターの類い希なる資質を開花させてゆく、というのがメインの筋にあたり、それと並行して、クラシック音楽に全人生をかける人々の執念が、作中に複雑な愛憎劇をもたらす。この4巻では、強力なパフォーマンスによってライヴを成功させながらも、他のメンバーとはあまりにもかけ離れたグルーヴであったため、バンドを追い出されてしまった歩夢が、再出発を誓う一方、前日譚でもある『パッサカリア[Op.7]』の、そのタイトルに暗示された伝説の楽曲をめぐり、運命の歯車が、よりいっそうの激しさをもって回りはじめる。

 過去にも何度か述べてきたけれど、『特攻の拓』の天羽時貞を最大の象徴とし、佐木の諸作品に通底しているのは、生まれと育ち(遺伝と環境)にまつわる苦悩の問題にほかならない。学園生活をベースとしない『爆麗音』の場合、社会に出ても、自己が実現されないでいる、このことへの苛立ちが反転し、生まれや育ちに対する苦悩となって、物語の磁場をつくっている。たとえば、印南烈がそうであるように、藤堂政美がそうであるように、ほとんどの登場人物は、そのエモーションを、出自に左右されてしまうのである。だが、おそらく歩夢(と、もしかしたら『パッサカリア[Op.7]』の主人公の妹、理香子)は、そうした拘束から、極力逃れられている。まあ、それは母親の冴子や妹の樹里絵と比べてみればあきらかなとおり、基本的には無知であって、無知であることがイノセントの役割を果たしているためなのだが、しかし、いっけん平々凡々としている彼が、周囲にとってチャームを持ちうるのは、眼差しが、生まれや育ちに囚われず、いまだ敗北を知ることのないロマンのほうをずっと、まっすぐ向いているからなのだと思う。

 しかしそれにしても、ガソリンバニーというグループのナンバーが名曲だとされてラジオでかかったりするのは、じつは『外天の夏』とリンクしている設定だったりするのだけれど、〈誰が何を――アタシの価値に払うのー 命なんかじゃ物足りない MONOTARINAI 命なんかじゃ物足りない MONOTARINAI(はあと)〉って、これ、ひどい歌詞だよね、どんな曲なんだろう、ちょっと聴きたい、MONOTARINAI。

 3巻について→こちら
 1巻・2巻について→こちら

 『パッサカリア[Op.7]』について→こちら

・その他佐木飛朗斗に関する文章
 『外天の夏』(漫画・東直輝)
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『[R-16]』(漫画・桑原真也)12巻について→こちら

・その他山田秋太郎に関する文章
 『解錠ジャンキー・ロック』1巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(09年)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのTrackBack URL
http://blog.seesaa.jp/tb/116201558