ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年03月23日
 恋愛 4巻 (4) (ニチブンコミックス)

 騙す男が悪いのか、騙される女が悪いのか。そうした訴えはもちろん、立場を逆転させて、騙す女が悪いのか、騙される男が悪いのか、と言い換えられる以上、必ずしも性差の都合にのみ単純化できないし、一般的に嘘偽りは正しくないので、絶対に騙す側がいけない、と判断するのも可能ではあるのだけれど、じつはそうと知りながら騙される、ということも世間にはありうる。このため、たいていは当事者の関係を固有のものとし、内情を見、是非を推し量っていくよりほかないのだが、いずれにせよ、悩ましい問題であるには違いない。立原あゆみが、マンガ『恋愛(いたずら)』を二部する構成のうち、オムニバスのパートに描く、つまりホテル街にあるバー「いたずら」を訪れたカップルたちに託しているのは、恋愛状態にあるような男女の仲に、そもそも共犯ならざる罪の介在する余地はあるのか、もしあるのだとすれば、はたしてそれはどういうふうにあらわれるのか、あるいはそのせいで幸福になれないのが悲しいのはなぜか、アンビバレントなまま、いくらでも続けられる謎かけを、ちょうど人がひとり、両手ではすこし持て余すぐらいのサイズに切り出した憂鬱なのだと思う。正直、作品がはじまった当初は、主人公のジミーの、いけいけの復讐譚だけを重点的にやってくれればいいのに、という気持ちのほうがつよかったのだが、しかし平凡な人々の、ささやかでしかない願いが、それこそ毎回引用されている歌謡曲のごとく変奏されながら、静かに、さまざまな重みを伝えてくると、ジミーの破滅的なスタンスとは異なった部分で、人生の哀歓を響かせるようになっている。この4巻の冒頭、「メモリーグラス」や「雨の慕情」と題されたエピソードなどは、それが一話単位で、うまく、はまった例であろう。その一方で、ジミーの、ヤクザとしての宿命を追ったパートが、重要なモーメントを迎える。死んで欲しくない人間が死ぬ、死んでしまう、というのは、フィクションにおける常套手段であるし、この作者が得意とするパターンであるけれど、これでもう、すべてを擲つのにジミーの躊躇う理由は何もなくなってしまった。それは決して救いじゃあないことが、ひどく、寂しい。

 3巻について→こちら
 2巻について→こちら
 1巻について→こちら

・その他立原あゆみに関する文章
 『極道の食卓』
  8巻について→こちら
  7巻について→こちら
  6巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『仁義S』
  9巻について→こちら
  8巻について→こちら
  7巻について→こちら
  6巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
 『本気![文庫版]』
  6巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  1・2巻について→こちら
 『ポリ公』
  4巻について→こちら
  2巻について→こちら
 『月の教室』について→こちら
 『喰人』1巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(09年)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック