ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年03月02日
 自分探しの旅というのも一度ぐらいは出てみるべきなのかもしれないな。だってそうだろう。あれほどの劉備玄徳ですら、一回りも二回りも大きくなって、帰ってきやがるんだからな。袁術に従ったため、曹操の大軍を前に、孫策、孫権の兄弟、そして関羽と張飛は、窮地に立たされてしまう。そのとき、彼らの危機を救ったのは、敗北感に呑まれ、姿を消していたはずの劉備であった。ふたたび劉備を迎える関羽がふるっている。〈兄者………兄者が遊んでいる間に、曹操はこれだけの“軍”を………〉という言葉、表情には、やはり戻ってきた、あのままで終わるわけがなかった、との信頼が見え隠れし、これに〈………勝ち続ける“戦”なんて無ェよ………〉と応える劉備には、すっかりと挫折から立ち直った自信がうかがえる。そうして、いったんは快進撃をくじけさせられた曹操、あらたな勢力を手に入れた呂布を巻き込んでの、徐州争奪戦の幕が開くまでを、武論尊と池上遼一による“超”[三国志]の、『覇-LORD-』の15巻は描く。董卓の死によって情勢は著しく動いた。その一方で、物語は、父親殺し、とでもすべきテーマの、汎用性よりも一歩先の段階へと、入っている。たとえばそれは、董卓を義父と呼んだ呂布があらたな決意を燃やすことや、曹操に次なる野心をもたらすのが父親の死であることに、見出せるだろう。もはや、目の上に置かれ、憎しみ、殺さなけらばならぬ父を持たない彼らにとって、戦国の世で果たすべきは、己の野心を満たすのみである。劉備に強烈なライヴァル意識を抱く曹操は、彼を倒し、“天”を掌中に収めるべく“非情”を宣誓する。いやはや、ここにきて、劉備と曹操の二者が、すばらしくかっこうよくなった。〈真の“敵”は劉備元徳ただ一人!――〉といきり立つ曹操に対し、〈………泣かせてやるよ 曹操……〉とほくそ笑む劉備、そうしたスペクタクルのありようは、武論尊の作品でいうなら、『北斗の拳』の全盛期をも彷彿とさせる。さらには、曹操との因縁を持ち、妖しい魅力を備えた張ばくの登場が、波乱に輪をかける。その張ばくと、呂布とがタッグを組むのは、「三国志演義」のとおりであるが、裸身で〈……曹操蹂躙…………なんと心地良い“想い”か……〉と述べる姿が、ソー・デンジャラスで、こいつはただじゃすまないぞ、と思わせる。しかし、相も変わらず常元の野郎が、くそすぎるよ。劉備a.k.a.燎宇と同じく倭人である彼には、劉備とは逆に、日本の負のイメージが託されているのでは、というのが個人的な読みではあるけれど、常元、死ぬほど人間が腐ってらあ。だが、一つだけ気にかかっているのは、どれほどのピンチにあっても、なぜか常元の名を捨てないことである。かつての自分や生まれ故郷、慕ってくる他人には、いっさいの執着を持たない、生き残るためには地べたを這うことすら厭わないにもかかわらず、常元の名前だけは手放すことがない。どうしてだろ。あるいはそれこそが、彼の、唯一の、プライドであるのかもしれない。

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posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(09年)
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