ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年02月08日
 現在の『WORST』には、『クローズ』や『QP』の作者に求めるべきものはもう、ほとんど描かれていないのかもしれない、というのが正直なところで、じつは先般、総集編が出たのを期に、アタマのほうを振り返ってみたのであったが、そこで登場人物の一人が山本隆一郎の『GOLD』を読んでいたことにあらためて気づかされたのはともかく、作品のつくり、そうして受ける印象自体が、当初と今とではかなり異なっているように感じられたのだった。すくなくとも、月島花という純粋が、理不尽な暴力と、正しく対位になるかっこうからはそれていっている。もちろんそれを、高橋ヒロシというマンガ家にあたらしく描きたいことが生じたからだとは、十分に解釈できるだろう。しかしながら、その、うしろからやってきた部分が、どうもいけていない、と個人的には思われるのである。おそらく、不良少年をベースとして、欧米のギャング映画みたいな、アウトローの倫理、モラル、ルールとでもすべきストーリーを編みたい、との欲望が『WORST』の発想にはあった。このことは、作画の面において、いくつかのシークエンスが、ちょうどギャング映画のそれを真似ている点からも、うかがえる。だが結果的に、日本のエンターテイメントに伝統的な、国盗り合戦の、いうなれば軍記もののヴァリエーションへと収束してしまっている。そうしたありようは、たとえば、作中の視点が、個人の内面を素通りし、複数の人間を、場面を、展開を、俯瞰していくような場所で成り立っている、かのようなストーリーの組み方によって担われている。まずテーマが先んじてというより、群雄割拠する登場人物たちの名前とスペックとインパクトだけで、作品がほぼ完成しているといっていい。要するに、エピソード以上に武将のカリスマが雄弁な表現の形式に近しい。インタビューなどでよく、高橋のマンガが、いわゆるキャラクターの魅力が物語を引っ張っている、と解説されているのも、結局は、そうしたことにほかならない。いや、何もそれを悪く言うのではない。重要なのは、もしかしたら作者自身は軍記ものをなぞらえているわけではない、と考えているかもしれないことであって、にもかかわらず軍記もののフォーマットを学園ドラマに落とし込んだスタイルになっているため、未成年と暴力の問題が、不可分に結び付くことを良しとし、シリアスに突き詰められていない、血まみれの、はったりとスペクタクルが前面に出てきていることである。この22巻で、『WORST』は、第2部の完結を迎えている。とはいえ、内容のほとんどは、武将の紹介に費やされているふうな感じだ。活躍の描写ではないのだが、まあ、武将のデータ・ファイルとか、男の子は燃えるよね、といったところで、人気は上々のままなのだろうし、イラストが重宝されたりもする。たぶん、第3部では、月島花が、高校三年に進級して、いよいよ天下統一を果たす(か、果たさないかの)くだりへ、入っていくに違いないけれども、この調子でさて、序盤でゼットンの口を借り、述べられた問題提起、つまりそれは『QP』で示され、繰り越されてきているものでもあるのだが、不良にしかなれなかった人間もいつかはモラトリアムの楽園を出て行かざるをえない、そのとき、希望と可能性の両翼がもがれることなく備わっていなければ、どこにも飛んでゆくことはできない、これに値する回答をきちんと導き出せるかどうか、不安が募る。

 21巻について→こちら
 20巻について→こちら
 17巻について→こちら
 11巻について→こちら

・その他高橋ヒロシ関連の文章
 『鈴蘭男子高校入学案内』について→こちら
 『クローズイラストBOOK』Vol.1について→こちら


posted by もりた | Comment(2) | TrackBack(0) | マンガ(09年)
この記事へのコメント
ホント、光栄のシミュレーションゲームみたいな漫画になってきましたよね。

しかし、恐らくは作者が「魅力100」の武将として描いているつもりの月島花に、読者があまり魅力を見出せないところが大きな失敗だと思います。
Posted by フリジッドスター at 2009年02月08日 22:19
フリッジスターさん、どうも。

パラメーター「魅力100」って言い方良いですね。いつか、しれっと使わせていただきます。

最近の「WORST」に関しては、というか、最近の高橋に関してはもう、正直、自分が暴力を扱った表現をしていることに以前ほどの慎重さがないかなあ、という気がしてします。

映画版「クローズZERO」の、高橋がちょびっと出てるシーンで、乱闘に行く学生にバットを渡すのを見たとき、あれ、それでいいの、と思ったのもあります。

もちろん、作品と作者は必ずしも一致するわけではないのかもしれないですし、「クローズZERO」は高橋の作品ではないとしても、たとえば、この巻の村越のエピソードですが、長々と描いている部分は、客観的に、不良がヤケにやって暴れているだけじゃんね、ということになってしまう。

それ以上のものを見ようとしたら、かなり好意的に読まざるをえない。あるいは村越の暴力に対して、その原因に対して、無条件で同情的になるしかない。それは物語としても表現としても弱いんじゃないか、と思うのです。

花に魅力が欠けているように感じられるのも、結局は、そうした作者の手つきみたいなところに遠因があるのかな、と。

まあ、春道とグリコが戦ったらどっちが強いのとか、リンダマンとグリコはどっちがとか、春道と花はどっちとか、を妄想しているぶんには楽しいかもしれませんから、そうしたあたりで男の子の欲望には応えられているのでしょうけれども。あとファッションとフィギュア?

ただ、高橋の作品に感動したことのある人間としては、あるいは過去の作品に関しては何度読んでもいまだに感動できる人間としては、今の「WORST」には歯がゆいところがありますね。
Posted by もりた at 2009年02月09日 13:57
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