ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2004年11月27日
 生き方の反省みたいなのが、近頃のヤンキー・マンガの主流である。ほら、手元にあるマンガ雑誌を開いてみろ。どいつもこいつも暗い顔してグレてやがるぜ。ばっかじゃねえの。そういった奴らをブン殴る体でヤンキー・マンガを90年代に完成させたのが、森田まさのりの『ろくでなしBLUES』であったが、なぜかそれ以降ヤンキー・マンガは、その殴られるほうに焦点を当ててゆくことになる。おそらく、ここいら辺の実情は『週間少年マガジン』系のヤンキー・マンガ『特攻の拓』や『カメレオン』、『湘南純愛組!』あたりが、トラウマ・ブームやアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』とシンクロするかのように、自意識の問題に深く関わっていったことと無縁ではない。そのことの結果として、大きく欠けてしまったのが、硬派の存在である。

 硬派は生き方を否定しない。自分を肯定するがゆえに硬派なのである。そこには暗さではなくて、明るさが生まれる。その明るさをすくいとっているのが、この『ギャングキング』である。彫り物師を目指す主人公ジミーは、いまどき正統派の硬派だといえる。長ランとかボンタンとかの、そういう格好のことではなくて、あくまでもメンタルの面において、だ。そういった基本線がしっかりと抑えられているから、『ギャングキング』は、ヤンキー・マンガとしての安定したおもしろさをキープしている。

 この第3巻に収められたエピソードはどれも、ヤンキー・マンガの古典を踏襲したものである。友人の退学。あまりにも純情すぎる恋の展開。定年退職する教師との交流。仲間の面子を保つための嘘。ベースとなっているのは、ガッツと思い遣りだ。登場人物たちはメリットを求めて、アクションを起こさない。むしろリスクの多い場面に飛び込んでゆく。そこには計算がない。ヤンキー・マンガとは、モラトリアムをいかにして過ごすかということである。まだ大人にもなってないのに、結果のほうから逆算するように行動するなんて馬鹿みたいだ。けれど、ただ無茶すればいいってもんじゃない。それじゃ軟派野郎だ。硬派じゃない。無茶が先立つのではなくて、ガッツと思い遣りに端を発した無茶を、この巻は描いている。というかね、これを読んで、もうちょっと熱くなったほうがいいよ僕というやつは、と思った次第。


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ。
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