ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年01月30日
 文藝 2009年 02月号 [雑誌]

 『文藝』春号掲載。自分でも、この頃は青山七恵の作品を持ち上げてばかりいるなあ、という気がしているのだけれど、どうしてかと考えながら、たぶん、少女マンガの端整な小説化であるようなところを好いているのだろう、と思うようになった。もちろん、少女マンガみたいな感性を持った小説自体は、80年代ぐらいよりこちら、とくに珍しいものではないし、今日的な小説家にとっては、もしかしたら無意識な、ごく自然と身についた作法なのかもしれないが、だからこそ重要なのは、それが端正にも受け取れる、との一点である。たとえば、同世代の(といってしまってもいいかな)同系統の(といってしまってもいいよね)女性作家である島本理生や生田紗代と比べてみたとき、そのことはわかりやすく見えてき、最初期の『窓の灯』や『ひとり日和』には、十分に足りていない部分であった。この『出発』にもまた、まるで少女マンガの(とはいっても若い社会人ぐらいの年代が読む)ような印象が備わっている。とくにドラマティックな出来事が展開されるのではない。気難しくない程度に、等身大の、個人の、漠とした感情をあらわしている。二十八歳の〈僕〉が、絶対のおおきな理由があるわけでもなく、会社を辞めようかと考えているある日、街角で、派手目の見知らぬ女性に「お金貸してくんない」と声をかけられた場面からはじまり、そうして何か事件が起こるのではなしに、一日の、風景や人々の描写がちょうど、語り手の、心の移動と重なるかたちで、小説は進んでゆく。男性の一人称による語り手は、この作者にとっては『ムラサキさんのパリ』、『欅の部屋』に続く三作品目で、もはやキャリア上の異色ではないだろう。その彼が、旅行事業部に勤めているという設定によって、たしか『ムラサキさんのパリ』の主人公も旅行関係の仕事だったよな、と思ったのだが、両者に表立った関連性はなさそうである(旅行会社に勤務しているらしい作者の経験に基づいているだけの話とも考えられる)。けれども、ビルディング小説として対照的な面を持ってはいる。あるいは、『新しいビルディング』を間に挟み、立ち去る者や出て行く者になれない者、とでもすべきテーマを持ち出していいのかもしれないが、『ムラサキさんのパリ』では、匿名的な高層ビルに囲まれるなかで〈フェンスの向こう、ビルとビルの隙間のもっと遠くに、小さな灰色の電気塔が小さく見えた。エッフェル塔に似ていなくもなかった〉と、ここではない風景がイメージされることに、おそらく主人公の心証を託しているのに対して、『出発』では、〈駅を昼にして西のほうを見やると、すぐ向かいには昼、女に声をかけられたスバルビル前の横断歩道、コクーンタワー、工学院大学、それから僕の会社が入っているビルがある。十二回のフロアには、ぜんぶの窓に蛍光灯がともっている。そこを取り囲むようにいくつかの高層ビル、京王プラザホテルの一部、そして駅からまっすぐにのびるイチョウ並木。街灯に照らされて、今はどの木の葉もマーカーでひいたような蛍光イエローに光っている〉という、具体的な場所に立ち、いま〈日本の中心の東京の中心の新宿の中心に〉いると気づかされることに、主人公の実感を預けている。

 『欅の部屋』について→こちら
 『お上手』について→こちら
 『かけら』について→こちら
 『新しいビルディング』について→こちら
 『松かさ拾い』について→こちら
 『やさしいため息』について→こちら
 『ひとり日和』について→こちら
 『窓の灯』について→こちら


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(09年)
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