ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年01月19日
 この文庫版6巻には、主人公である本気(マジ)のカリズマが西は大阪でシンパをつくるという、『本気!』シリーズのみならず、同じ世界観をシェアする立原あゆみの諸作品にとって、重要な転機が描かれている。渚組をいったん離れ、大阪へ渡った本気が、獄地天道会の図譜と接触し、天組の組長代理となったことは、今のところのシリーズ完結編にあたる『本気!サンダーナ』や、べつシリーズの『弱虫』ばかりか、もしかしたら現在連載されている『仁義S』の内容にも、すくなからず影響しているのである。

 大局から見れば、こうして本気の存在は、関東と関西の、両方の極道に一枚噛むこととなり、やがて全国区となっていくわけだが、その一方で、ちいさなエピソードの一つ一つがたまらないほどせつなく、平和であることの尊さ、それを願う気持ちの大切さを、しみじみ伝えてくる。とくに六助の最期は、主人公の地位や立場の向上とともに、作品そのものの構造が、政治的な駆け引きを含まねば成り立たなくなっているなかで、本気の、自らがヤクザ以外の何ものではないという姿勢を、しかしだからこそ人びとのために貢献できることがあるはずだという決意を、あらためて問い直す。

 そう、〈オレがつまんねえ見栄はらなきゃ ダチだろうと兄弟だろうと 風の金バッチひけらかして話つけりゃ 六…てめえは死なずにすんだ…〉のかもしれない。このような反省を受け、もしも誰かを助けられるなら、手に入れた権力を行使することも、反対に泥をかぶることも、厭わぬようになるのである。『本気!』の物語は、ある意味で、汚れなければならない生き方を選んだ人間が、はたしてどれだけイノセントであり続けられるか、あるいはイノセントになることができるか、とのテーマを負っているともいえる。背景に、仏教やキリスト教の考えが見え隠れするのも、そのためであるし、本気と久美子の、性的な関係のいっさいない、ピュアラブルな恋愛が、血なまぐさい抗争のほかにもう一個、メインのストーリーをなしているのも、そのためであろう。

 だがそれにしても、六助のラストは、見え透いた演出ではあるものの、とても悲しい。惚れた相手のためなら、自分の命を捨てても構わない、そうした悲壮な覚悟が、本気の述べるとおり〈久美子さん 六助は 二十何年の人生でホレたのは 逝った恋人とオレだと言いました こんなオレにほれたと……………でも久美子さん さみしすぎます 二十何年生きてきて たったふたり〉という寂しさを後ろに背負っている、と感じられることが、とても悲しい。死が迫り来るとき、救急車を呼ぼうとする本気に、六助は言った。〈いいよ せっかく 七美ンとこいけんだ 救急車なんぞいるかい?〉と。七美とは、もちろん、亡くした恋人の名だけれども、この世で唯一の親友を守るべく命を落とし、あの世で再び恋人に逢えると信じられるのが、たとえ幸福であったとしても、それはやはり、とても、とても悲しいことだ。

 いつの時代にも、望む望まぬにかかわらず、ヤクザになるよりほかない人間がいる。六助が抱えているような、寂しさ、悲しさを、どうしたら救えるのか。これが、本気の、いや作者の、すべてのヤクザの夢はヤクザをやめることでなければならない、という主張に通じているのは、あきらかだろう。また当然のごとく〈かたぎだからといって 許されねえ事があ〉って、〈国 守んなきゃなんねえ政治家が 市民いじめて…極道よりきたねえ…〉こともありうる。いくつもの難題を抱えながら、ストーリーは、じょじょにふくらみ、やがて『本気!』以外の作品にも、拡散、反映されてゆく。

 5巻について→こちら
 4巻について→こちら
 3巻について→こちら
 1・2巻について→こちら
  
・その他立原あゆみに関する文章
 『仁義S』
  8巻について→こちら
  7巻について→こちら
  6巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら 
  3巻について→こちら
 『極道の食卓』
  7巻について→こちら
  6巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『恋愛』
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『ポリ公』
  4巻について→こちら
  2巻について→こちら
 『月の教室』について→こちら
 『喰人』1巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(09年)
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