ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2009年01月17日
 近キョリ恋愛 3 (3) (KCデラックス)

 みきもと凜の『近キョリ恋愛』の3巻を読んで、おおっこういう物語の転がし方をするのかあ、と感心させられる。ピュアラブルなラヴ・コメディにおけるヒロインは、多少エキセントリックであったとしても、あるいはそれも含め、たいていはイノセントなものと相場が決まっていて、このマンガの主人公である枢ゆにの個性も、根本はそのラインにそっている。超がつくほどの天才児である反面、同世代と比べ、世間に疎く、度がすぎるぐらいすれていないことが、とてもチャーミングな表情の変化をもたらしているのである。しかしそれは、あくまでも外向きの、態度の、印象の問題でしかない。そこから、感情の問題を引き出し、掘り下げようとしていることが、この巻における展開、そしてラストのカットでうかがえるところに、おおっ、と思わせられるものがある。生徒と教師という立場の違いにあるため、周囲に隠れての交際を続けるゆにと櫻井ハルカであったが、修学旅行先の京都が櫻井の地元であったことをきっかけとし、また一騒動持ち上がる。ここでのくだりは、今までのような、単純に雨降って地固まる的なものでは、ない。ゆにと出会う以前の櫻井が、その足跡が、二人の関係に割って入り、影響、作用を設けることになってしまう。いや、より正確を期すなら、ゆにの側の主観に波紋を呼びかける。一般化して述べるなら、自分よりも経験を積んでいる恋人の過去をいかに受け入れるか、という事態に動揺させられているのだ。過去とは決してスキャンダラスなドラマとはかぎらない。たとえそうであっても、ここで重要視すべきは、違う。かつて恋人に自分以外に好きな相手がいたという、ささやかな、誰にでも起こりうる悩みであるし、もちろんそれはつまり、この作品のヒロインが、ただ可愛らしいだけの人形として描かれているのではなく、生身の人間にほかならないことの表現になっている。そしてさらに注意しておかなければならないのは、ほんらいは過去であるはずの出来事を、現在も進行形であるかのごとく感じられてしまう、そのような主観の歪みが、ゆにの視点を通じて、示されている点だろう。恋人の昔の恋人を登場させるパターンは、こうしたラヴ・ストーリーにとって、珍しいものではない。修学旅行ののち、櫻井の元カノと(当人たち以外から推量)されている滝沢美麗が、作中におけるある種の都合の良さによって、ゆにたちの学校へやって来るのは、たしかにそういったセオリーをなぞらえている。だがすくなくとも、現段階の『近キョリ恋愛』に見出せるのは、よくある三角関係の図式ではない。みきもとというマンガ家の意識は、おそらく、そうした図式をつくり出すことではなく、ヒロインの内面に内面に向け、焦点を絞っていくことに傾けられている。たとえば、女教師の峰藤コウが、ゆににいろいろなコスプレをさせる行為は、読み手へのアピールも合わせて、彼女を人形として扱うのと、おおきく異ならない。しかるにその、コスプレの似合うことが、魅力的なポイントでもある。それをそのまま、作中人物にも読み手にも可愛がらせ続けることは、コメディの性格を持った物語上、可能だと考えられる。しかしながら、作者自身が「あとがき」にあたる個所で〈最後、ゆにがプチダークサイドに落ちてますけど〉と述べるような、ともすればショッキングなシーン、カットを用いることで、嬉しさや、恥じらい、泣き顔など、これまでにあったのとはまたべつの、角度の、人間らしい、表情が、感情が与えられるにいたる。

 2巻について→こちら
 1巻について→こちら

・その他みきもと凜に関する文章
 『17歳』について→こちら 
 『水曜日のライオン』について→こちら
 『タイヨウのうた』(原案・板東賢治)について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(09年)
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