ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年12月26日
 芦原妃名子の『砂時計』は、ある種の通俗性もここまで高められたらメロドラマとしてたまらないよね、というところに作品の魅力があった。通俗性は、たとえば、純愛とでもすべき頑なさや、親から子へ一方的に手渡される葛藤によっていた。では『Piece』はどうか。いやたしかに、この1巻の時点では異なったテーマが見えてくるけれども、通俗性の高さがそのまま作品の魅力に転化されている、こうした意味において、やはり『砂時計』に通ずるものがある。ここに描かれているのは、いわゆる自分探し的なモチーフだろう。自分で自分が何者なのかよく知れない、そしてもし、他人が自分を映す鏡であるならその見方もよくわからない、作中人物たちの心の動きを決めているのは、以上のような、つまり今日の人々にたいへん親しまれた戸惑いである。大学生の須賀水帆が恋人の浮気を知った日、高校時代の同級生から、かつてのクラスメイトが乳癌で亡くなったとの連絡を受ける。〈“折口はるか”正直この日まで彼女の存在を忘れていた〉というほどに親しみのない人物の死に、悲しみがわくことがなくとも、葬儀に参加した水帆は、ふとした話の流れからやがて、はるかの母親に相談を持ちかけられ、のることとなる。高校の頃、地味で目立たず、からかわれ、いじめられてばかりいたはるかには、じつのところ皆に知られることなく、付き合っていた男性がいた。妊娠と堕胎の経験があった。はたして彼女の恋人とは誰だったのか。はるかの過去を知るべく、当時の人々と連絡をとるうち、水帆は自分の過去ともまた向かい合う。群像劇ふうに多種多様な人物を巻き込んでの、ブラック・ボックスに手をかけるようなサスペンスをベースとしながら、過去と現在とを行き来する進行は、なかなか工夫の凝らされたものである。しかし物語を支えているのは、やはり、自分との向き合い方がよくわからない、他人との向き合い方をよく知らない、という、通俗的なテーマにほかならない。水帆ばかりではなく、彼女とのあいだにいわくありげな鳴海皓や、一学年上の先輩ではるかに片想いしていた矢内高史等々、自身に欠損を感じている者同士が、はるかの不在を通じ、はからずも行動をともにするなかに、濃厚なメロドラマの気配を見られる。

・その他芦原妃名子に関する文章
 『月と湖』について→こちら
 『砂時計』
  10巻について→こちら
  8巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(08年)
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