ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2004年11月24日
 吉田修一の小説は、いつもシチュエーションが、変だ。が、しかし躓くような違和はない。たとえば、この「春、バーニーズで」では、主人公であるところの筒井が、新宿のバーニーズで、昔いっしょに暮らしていたことのあるオカマと偶然にも再会する。筒井は幼い息子を連れている。その子供は、筒井の血は引いていない、妻の連れ子である。オカマのほうはといえば、新しいツバメに、服を選んでやっているところであった。筒井は、オカマに自分の子を紹介する、息子には「ほら、このおばちゃんに挨拶しなさい」という。このやりとりは、どこか変わっている。けれども、そのことに気づけるのは、読み手が彼らの実情を説明されているからで、おそらく傍目からは、ただの知り合いの挨拶程度にしか見えない。ここでいわれているのは、つまり、筒井を取り巻く関係性というのが、本来ならば見えざる彼の内面に属しているという事実に他ならない。当たり前のことが、ごくごく当たり前のように述べられている。だからこそ、躓いてしまうような違和がないのである。しかし一方で、やはりシチュエーションとしては変だ、と思うのは、彼の内面の外側に、関係を定型化させる、そういう視点が存在しているからで、なるほど、これはそうした二つの関係性をめぐる連作となっているのだった。最後に収められた「楽園」のその最後「……なんていうのかな、二つの時間を同時に過ごしているみたいなんだ」といわれているのは、おそらく、そのような意味においてである。

 吉田修一『ランドマーク』についての文章は→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書。
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