ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年12月12日
 踊るジョーカー―名探偵 音野順の事件簿

 北山猛邦の『踊るジョーカー』は、けっこうライトな感じのミステリ小説で、五つの篇からなっており、それらの物語で起こる難事件を、見事に解決していく探偵役と助手役の主人公二人組が、たいへん可愛らしい。まあ、可愛らしいというのが、作中の彼らにとって名誉であるのかどうか。なぜならば若いとはいえ、もう立派な成人男性だからである。推理作家を営みとする語り手の白瀬は、大学時代からの知り合いである音野を、こう評す。〈彼には誰も気づかないような真実の欠片を見つける才能があった〉と。しかし〈彼は進んで名探偵としての力を発揮しようなどとは考えない男だ〉と。それでも〈彼は本来、その冴えた能力を称賛されるべき人間なのだ〉と。そうして、根っから引きこもりがちな音野の社会復帰をあたかも手伝うかのように、白瀬は自分が借りている仕事場の一角に探偵事務所をひらくのだった。謎は謎として険しいものの、乗り気な白瀬に嫌々ながらも事件現場へと連れ出される音野の、二人の性格をよく立たせた凸凹さ加減は、繰り返すけれど、たいへん可愛らしい。可愛らしさとは、たしょう悪く言い換えるなら、幼稚さのあらわれでもある。しかしその幼稚さが作品には見合っている。いや、それは必ずしも作品が幼稚趣味だということではない。たしかに、人の生き死にに関わるような事態にさいしてさえ、極端に暗さや重たさは斥けられ、全般的に楽しく明るい雰囲気のまま、物語は進む。そこを非難するのは容易い。だが、よくよく考えてみるなら、どれほどの凶悪犯罪も、全部が全部とはいわないにしたって、動機のレベルで見るなら、たいてい、幼稚なものである。たとえば、憎しみや妬ましさのあまり、人を陥れたり、ときには人を殺したりする。たとえば、金欲しさが高じて、人から盗んだり、ときには人を殺したりする。こうした精神自体が、もしも幼稚であるとするなら、登場人物たちのコミカルな振る舞いは、むしろ、その描写に適っている。それでも、すでに果たされ、取り返しがつくことのない蛮行の解決に、胸痛めた様子を見せる音野の姿が、作品のエモーションだろうか。音野の憂いを前に、白瀬がいうとおり、〈人生を懸けたトリックで他人を殺害し、運命を変えようとする人々。探偵はその運命を矯正する力を持つ。それだけに躊躇する気持ちはわからないでもない。名探偵は他人の運命を破壊するだけの力を持っている〉のである。とはいえ、ここで重要なのは、あくまでもそれが語り手である白瀬の視線によっていることだ。白瀬の、音野を捉まえる視点から出てきている。つまり、じつをいうなら二人のやわらかな関係性を示すものでしかない。彼らの可愛らしさを見るにつけ、あるいは、この世界におけるラディカルな幼稚さにあっては、そうした親密さだけがただ、感情に繋がっているものなのかもしれない、と思う。

 『恋煩い』について→こちら
 『妖精の学校』について→こちら
 『少年検閲官』について→こちら
 『「ギロチン城」殺人事件』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(1) | 読書(08年)
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