
基本的には、半径5メートルのコミュニケーションで作品がつくられているため、あまり長引いてくると、ストーリーに広がりようがなく、当初の輝きもだんだんと薄れてきてしまうのでは、といった危惧を持っていたのだけれど、ああもう、ぜんぜんそんなことはなかった。この4巻の段階でもまだ、抜群におもしろいままだ。いや、それどころか、ますますおもしろくなっているぞ、と満面の喜びが得られる。
この咲坂伊緒のマンガ『ストロボ・エッジ』の、とくにすぐれた面は、ある種の緊張によってもたらされている。それは何も、作中人物たちが非日常の危機に瀕し、生と死にわかれるぎりぎりのラインを跨ぐ、という大げさなことではない。ごくふつうの、ありふれた日常のなかで、作中人物たちのささやかな感情の揺らぎが、呼吸の一つ一つを通じ、誰かに伝わってしまうのがつらい、自分に伝わってくるのがつらい、こうした様子がつよい訴求力をもってあらわされているのである。
すこし小難しく述べて、恋愛もしくは三角関係の原型が、他者の欲望を欲望することであるとしたなら、『ストロボ・エッジ』が描き出しているのは、その欲望すらも自らに禁じなければならない、禁じようとしたときに生まれるエモーションであり、ドラマだろう。それがいかに切実なものか、たとえば、ヒロインの仁菜子による〈ただ想うだけでいいなら『蓮くんがふたりいればいいのに』きっとそれすらも思っちゃいけない事〉というモノローグによく出ていると思う。
意中の人である連には素敵な恋人がいるので、両想いになることは断念しながらも、片想いを捨てきれない仁菜子の、その、純情でもある姿に関心を抱いた蓮の友人の安堂が、彼女にちょっかいを出すうち、まじに惹かれはじめていく。これが前巻からのあらすじだけれども、安堂の真摯な告白を受けてもなお、仁菜子の蓮に対する気持ちが変わることはない。一方、仁菜子とは友達以上にならない距離を置いていたはずの蓮の心境に、微妙な、しかし劇的な変化が訪れる、というのがここでのくだりである。
連にとって、恋人は麻由香一人であり、彼女を大切にしたいし、裏切るつもりもない。だが、どうしてだろう、仁菜子のことが、ふと気になってしまう。ピュアラブルなラヴ・ストーリーにおいて、たいへんな困難をともなうのは、あらかじめ恋人のいる人間の心移りをどれだけ誠実に示せるか、であって、蓮に託されているのは、まさしくそれだといえる。いつまでも変わることのない感情などどこにもない、これを前提化してしまえば、今ここにある感情もまた、絶対的な真実ではない可能性を孕んでしまう。
両親の離婚をいまだ引きずる麻由香が、父親の再婚を聞きつけ、蓮の前で泣く、〈やっぱり ずっと変わらない気持ちなんてないのかもね〉と流される涙が印象的である。蓮は、友人である学(がっちゃん)の慮りのとおり、もしかしたら自分が仁菜子を意識していると気づき出している。眠っている仁菜子と二人きり、電車に揺られている78ページ目から82ページ目のシーン、そこでの彼の葛藤には、じつにさりげない描写のなか、すさまじいものがある。
ほんとうなら降りるべき駅を乗り過ごし、仁菜子の駅にまで付き添ってきたのは決して〈蓮くんの事だから 私に気を遣って 起こすに起こせないでいたんでしょ〉というのではないだろう。だが、そうした束の間でさえ、彼の性格上、とても罪深く感じられてしまう。そのことが、まったくべつの機会、べつの意図で発せられた麻由香の〈やっぱり ずっと変わらない気持ちなんてないのかもね〉という涙によって、疚しさのつよい否定へとすり変わる。
そう、麻由香が何をしたわけでもない、何も悪くない。仁菜子が何をしたわけでもない、何も悪くない。このとき、蓮の生真面目さは、自分の感情の揺らぎこそが最大の問題であるとし、もしも彼の内側に芽生えているものが仁菜子への慕情であるとするならば、それを断念しなければならないと決める。
連のそうした頑なさを見かねた学が〈おまえ 自分の気持ちに気付いたんだろっ!?〉と〈ムキになって自分の気持ち否定したってしょうがないだろ!?〉と責め立てるが、もう一人の心優しき友人、裕が〈本当が いつも正しい訳じゃないだろ〉と〈じゃあ 蓮のカノジョはどうするの?〉と学を押さえるとおり、どこにも正解がないような悩みにおいては、ただ、自分にできるだけのことを自分に課すよりほかないのかもしれない。こういう蓮の迷いと断念は、麻由香の存在を頂点とするかぎり、意外にも仁菜子のそれと相似でもあるふうに対置される。
ふたたび、恋愛もしくは三角関係の原型は、他者の欲望を欲望すること、といわせてもらうなら、連の仁菜子に向けられた動揺は、さしずめ、二者のあいだに入ってきた安堂のアクションによって、引き起こされている。あるいは、顕在せざるをえなくなった。もしもそうだとしたら、仁菜子に告白する間際、安堂は〈人って結構欲張りなんだよ 本当に好きなら 自然と その先を望むものなんだ だけど連にはカノジョがいる どんなに近付いたって――――交わる事なんかない 蓮と仁菜子チャンは〉と言っていたけれど、平行する二線のあいだに結びつく斜線を引いてしまったのは、皮肉なことに安堂ともとれる。さて、彼女彼らの恋愛は、次巻以降、いかなる展開を見せるのか。
最初に述べたとおり、咲坂伊緒の『ストロボ・エッジ』は、基本的に半径5メートルのコミュニケーションでつくられたマンガである。しかし、その狭い半径のうちで密に折り重なるエモーションやドラマを、デリケートに、さりとて憚ることなく描き取ることで、表面的にはあかるくたのしいトーンの、だが、じっくりシリアスに読ませるほど充ちた内容の、作品になっている。
3巻について→こちら
2巻について→こちら
1巻について→こちら
・その他咲坂伊緒に関する文章
『マスカラ ブルース』について→こちら
『BLUE』について→こちら
『GATE OF PLANET』について→こちら
この漫画、本屋さんで見かけてちょっと気になっていました。
ここに書かれているのを5行ほど読んで、買うことを決めました。
買って大正解でした。ここ読んでよかった…。
読んでいて、苦しいくらい胸がキューンとするところがありました。
わたしがもし男性が苦手でなかったら一番憧れてる
「満員電車で守ってくれる」シーンが載ってたので嬉しかったです。
そして、小さい仁菜子ちゃんが心の底から羨ましいです(爆)。
やっぱり、わたしはピュア系のものがたりが好きみたいです。
大きな事件とか起きなくても、急な展開とかなくても、
「好き」の中にキラキラとかドキドキがたくさん詰まってると思うんです。
今、『B.O.D.Y.』も読んでますが、事件が多すぎてドラマみたいで(笑)、
断然『ストロボ・エッジ』のほうがキュンとします。
もう漫画、100冊近く集まりましたよ。
日々、心が揺り動かされる漫画に出会えてとても嬉しいです。
もっともっと、そういう漫画に出会えるといいなって思います。
なんか、どうでもいい話をダラダラと書いてすいません。
これだけで30分掛かっちゃった。。。
では、失礼します。
ご存知かどうかは知りませんが、藤原よしこの『恋したがりのブルー』という作品も、「満員電車で守ってくれる」シチュエーションのあるピュアな感じのストーリーですよ。あと、他にも何かあったんだけど、すぐ思い出せない。ごめんなさい。
たぶん「好き」っていうのは、たとえそこから何もはじまらなくても、つねに出会いと別れにまたがった感情だから、じつはもうそれだけで大事件なんだと思います。それを丁寧に描いてる作品が僕も好きです。
『恋したがりのブルー』。
探して見つけたので、とりあえず1巻のみ買ってみました。
いきなり電車のシーン出てきましたね。
内容も嫌いではなかったので、今度続きを買おうと思います。
わたし、男の子は断然黒髪の方が好きなんですよね。
黒髪の男の子も登場していて、更に嬉しかったです(笑)。
あと『マスカラブルース』も買いました。
短編の漫画は初めて買いました。
絵の雰囲気が『ストロボ・エッジ』とちょっと違いましたね。
『恋したがりのブルー』は、黒髪じゃないほうの男の子がちょっと不良っぽいのでどうかな、と思ったのですが、彼も含めてみんながそれぞれ一生懸命にがんばっているところに純粋が見える気がするので、おすすめしてみました。
少女マンガはおもしろい短編が多いですよ。おもしろいというか、テーマが絞られているところで、ぐっとくるものが多いです。よく知らない作家さんは、短編から手をつけたほうがいいときもあるぐらいです。