ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年10月09日
 今日的なヤンキー・マンガにおける不良少年の鬱屈も、結局のところトラウマ時代の坊ちゃんに等しく、生い立ちや幼年期の体験に尽きるのか。ワルに憧れる少年性とはまたべつの位相に、どうしても不良にならざるをえない宿痾が存在しており、それが当人の望まない不幸であるのだとすれば、たしかに悲しい。が、しかし〈親父の顔なんて知らねぇ…母親にはすてられた 友達にも裏切られ…何もねぇ……〉からといって、〈んなモン…女ブン殴っていい理由になんねぇな…〉と、これだよ、これ、である。同情的な視線では決して救われぬ魂を前に、こうしたしごくまっとうな意見を、躊躇うことなく、述べられるところに、小沢としおの、そして『ナンバMG5』の、良さ、がある。

 いよいよ、千葉最強のヤンキー剛と横浜のギャングキング光一の対決にも、決着がつく。暴力ですべてを牛耳ろうとする光一の凶行が、レディース横浜魔苦須の面々のみならず、自身のチームであるケルベロス、そして無関係な伍代までをも手にかけていくとき、まさか三階から突き落とされたはずの剛が、ふたたび立ち上がってきたのであった。もはや誰も入り込む余地のない、圧倒的なレベルのケンカがはじまる。そのなかで〈教えてやるぜ 何でオレが強ぇか……何もねーからだよ…オレには…〉とのたまう光一に、剛は言うのである、〈んなモン…女ブン殴っていい理由になんねぇな…〉と、〈つらい過去持ってりゃ 何でも許されるとでも思ってんのか?〉と。ここは最高に燃えたな。

 しかし重要なのは、母の手作り特攻服が破れ、かわりに魔苦須のメンバーがプレゼントした特攻服を剛が羽織るシーンによって、光一の孤独が相対化され、そのうえで否定の意味が込められているため、剛の言葉には、読み手の心を動かすのに十分な、重みが加わっている点であろう。前巻の回想が教えてくれているとおり、魔苦須の面々、とくにナンシーやカー子、フー子は、ある意味、光一がそうであるように、不良にならざるをえなかった人間だといえる。だが、光一と彼女らのあいだには決定的な差異があり、両者を違えているものがあるとすれば、それこそ仲間の有無、作中の言葉を借りるなら、友達(ツレ)の存在にほかならない。この仲間を大事にする気持ちが、魔苦須の特攻服には託され、象徴されているので、それを着用し、後輩の弥生たちを守るべく体を張り、光一に立ち向かう剛の言葉には、何か、こう、胸に届いてくる響きがともなっているのである。

 もちろん、それを綺麗事というのは容易いけれども、おそらく、たいていのフィクションにおいて、孤独と仲間の関係は不可分に結びついている。あるいは、現在進行形であるヤンキー・マンガにかぎっただけでも、同様の問題は、高橋ヒロシの『WORST』や柳内大樹の『ギャングキング』にも見られる。家族から見捨てられ、社会からも疎まれ、生じうる孤独をもしも、宗教やイデオロギーを持ち出さないで、救えるものがあるとすれば、やはり、仲間からの働きかけ、それになってくるのだろう。ネタを割ってしまっても問題はないと信じるが、結論からいえば、光一は剛に敗北する。力で負ける。このとき、強者が正しいの論理に光一が従っていたことを忘れてはならない。すくなくとも、そうした相手方の論理に則り、そのうえで〈ちょっと強ぇからって何なんだ!! 神奈川最強が何だっつーんだよ!! 友達の1人もいねークセに…んなモンに何の意味がある!?〉という言葉を正しく機能させるべく、剛は、ぼこぼこになるまで光一を叩きのめさなければならなかった。すなわち、暴力描写自体を、たんなるスペクタクルではなく、物語を回すなかで、十分に意味のある表現にまで持っていっている。

 それにしても、あいかわらず、作中人物たちのファッションが素敵である。剛と光一の死闘において、それを見守る伍代のTシャツにプリントされているLEAH DIZONってロゴ、なんだよ、おまえ、それ、よくよく見たら、リア・ディゾンじゃねえか、一瞬、かっけえ、と思っちまったじゃんよ。いったん気になってしまうと、こんなクライマックスに、そんなTシャツ着てんな、場違いだろ、と笑えてしまうので弱るよ。まあ、カー子のMIKUのトレーナー(これは、もしかして、猛愛用のMIKEの兄弟ブランドであろうか、それともどちらかが、あるいはどっちも既存メーカーのパチモノなのかな)もたいがいだが、すました顔してLEAH DIZONの伍代には負ける。

 と、オチもつけたところで、しかしもうすこしだけ書きたい、と文章を続けてしまうのは、この17巻で先の横浜編は終了し、エピソードが変わるのだけれど、その、剛の妹である吟子が将来について悩む新エピソードにおいて、彼女の担任教師として登場する長谷川が、たいへんナイス・ガイであるからだった。吟子ばかりではなく、兄の猛や剛を受け持ったこともあり、さらには剛の二重生活をも知る彼にかかると、三者面談で相対する難破家の母親ナオミの〈勉強より大事なことがいろいろとあんだろ!!〉という、ふだんなら頼もしいはずの言葉も、やや幼稚になってしまう。何をしたいのか、まだはっきりと自覚していない吟子のことを真剣に考え、長谷川は、吟子やナオミに対し、厳しく接するのである。こうしたまっとうな感覚を、ギャグにも見える展開のうちへ、しごくナチュラルに盛り込んでくる作者の、そして作品の健全さは、ほんとうにもっとずっと高く評価されてもいい。

 16巻について→こちら
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 3巻について→こちら
 1巻について→こちら

 1話目について→こちら
posted by もりた | Comment(2) | TrackBack(0) | マンガ(08年)
この記事へのコメント
あーすごく良いレビューですね。

ヤンキー漫画なんだろうけど、ヒロイズムに目を惹かれます。シャバ僧と不良、勝者と敗者、外人やレディース、根暗やいじめられっ子。犬までw 全方位的な連帯と愛情こそが〈つらい過去持ってりゃ 何でも許されるとでも思ってんのか?〉に説得力を持たせていると思います。ありがちな友情パワーといえばそれまでなんですが。伍代が孤独じゃなくなってくのと同時に男前になってくのも関係あるのではないでしょうか。

そして服装のダサさは不良が持つ虚構性、格好から入ってるナンパな部分を排除する役目を果たしているんだと思います。だから最後まで服装はトッポいままだと思う(笑)
Posted by pon at 2009年04月21日 04:15
ponさん、コメントありがとうございます。

おっしゃるとおり、さまざまなレッテルを持っている人物たち(犬も含め)が各々、疎外感のなかから自分の居場所を得ていく姿には、ある種のヒロイズムが生じているようにも思います。それと特攻服のこともあるから服装のすばらしいデザインには、まあ半ばギャグなんでしょうが、やっぱり何かしらのシンボルを感じてしまいますね。
Posted by もりた at 2009年04月21日 19:11
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