ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年12月16日
 『週刊新潮』12月22日号掲載の掌編。巻末のファンケルの宣伝ページっぽい「街の名は」という欄の、第33回福井篇のために書かれたものである。同じく福井にゆかりのある米谷清和という画家が挿絵を担当している。内容は、ほかの作家であるならば、エッセイに近しい、つまりテーマというかメタ・メッセージの捉まえにくい、日常と心象であるのだけれども、舞城王太郎の場合、そのプロフィールの不明確であるという匿名性を含め、文体それ自体が、良くも悪くも、素直に物語化してしまう傾向があり、そのへんは村上春樹における「僕」の使用と似ていると考えるのであれば、大塚英志がいう舞城批判の核はそのあたりになるのだろうが、しかし舞城にしてみれば、もしかするとそれは、私小説的な「私」とは切り離されたものを、テクスト上に展開するための手順なのかもしれず、じっさいにここで「俺」と書き記される人物が、何を担保にして主体として成り立っているかといえば、その誰でもない(誰でもありうる)無記名であることが、読み手の感情移入を誘う姿形によって、仮構の「俺」が特権的なキャラクターとして固有化される、リアリティを帯びるのだとしても、では、それが村上春樹の「僕」とどこがどう違うのかというのは、なかなか厄介な問題ではある。だが、そういった諸々の事情が、読み物の興を殺ぐかという話をしたら、すくなくとも僕の立場では、そんなことはなかった。悲しみは石になり、地面として足下にあるが、「喜びは鳥になる。」その鳥になることは、ここに書かれていない。友人の幸福が、象徴的に、それとして示されている。ところで32歳の「俺」というのは、それでもやはり舞城本人を想起させずにはおれない。「俺」は、山崎の二次会に、友人の藤田とともに出席するのであるが、山崎は文脈からするに女性である。要するに、新婦にとっては異性の友人であるから「俺」と藤田は、結婚式自体には出られずに、二次会から参加するのかな、と推測する。でもってビンゴをやったりする。だとしたら、あーあるある、そういうことってあるよね、と思うのであった。

・その他舞城王太郎の掌編
 『A DRAGON 少女(ドラゴンガール)』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書。
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