ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年09月22日
 すこし反動的すぎるな、と自覚しつつ、これを書くのだが、『新吼えろペン』に関しては、やっと終わってくれた、というのが正直な感想である。なぜこのような退屈なマンガが11巻も続いてしまったのか、それはおそらく、島本和彦が熱いマンガを描いている、というのではなく、島本和彦が描くマンガだから熱い、という錯誤が、一部の読み手のあいだで共有されてしまったためであろう。熱い、という基準が、おもしろい、や、たのしい、の評価を代替していることに、なんら問題はない。しかしながら、そうした評価の基準自体が、相対的な見方のうえに成り立たず、作品もしくは作者を絶対視しようとする姿勢からやって来ているとしたら、おそらくは、間違える。すくなくとも『新吼えろペン』の長期化はそのことを教えてくれる。いやたしかに、『燃えよペン』はおもしろかった、『吼えろペン』はたのしかった、が、残念なことに、たぶん作者がそれらとは違う方向性を模索したに違いない『新吼えろペン』は、おもしろくもたのしくも、ましてや熱くなんてなかった。続編でありながらも、『吼えろペン』において重要な役割を担った前杉英雄をほとんど登場させず、言うなれば若者の成長物語的な要素を極力抑え、炎尾燃というベテランがいかに業界と向き合うか、を軸に展開された内容は、結局のところ、実話ベースのフィクションを抜きん出るものではなかったのである。まあ、『アオイホノオ』の人気などを見るに、もしかしたら読み手の多くはもう、島本にエッセイ・マンガ以上を求めていないのかもしれない。ところで、この11巻には作品の完結にさいし、「読者からのお便りコーナー」なるオマケが設けられている。要するに、著名人のコメント的なあれなのだけれども、そのなかでササキバラ・ゴウは、〈『燃えよペン』、『吼えろペン』と、主人公は同じであっても、趣向が大きく異なるこのシリーズは『新』にいたって、ついに何かの一線を超えた領域に突入したようだ〉とし、それはつまり〈創作の現場にいる人間にとっては、決して他人事ではいられないようなギリギリの問題に、あえて捨て身で突っ込んでい〉くことなのだが、〈ただその分、旧来のファンからすると、炎尾らしい炎尾の姿を見る場面が減〉ったため、〈「熱くまんがを描く」という、傍目から見たらちっぽけな(略)行為を軸足にして乗りきってきた『燃えよペン』のシンプルさが、懐かしく思えた人もいるかもしれ〉ず、〈私も、どこかそう感じていた〉と述べている。この分析は、きっと、正しい。ただし、古くより島本の熱心なファンであるササキバラの場合、かわりに「捨て身」となっていることを強調しつつ、『新吼えろペン』を肯定的に評価している、あるいは、しようとしているみたいだ。要するに、汚物にまみれることをいとわず、現実の生々しさをえぐり、切り取るかのような態度に、作者の批評性を見ている、見ようとしているわけだけれど、それが他と比べすぐれているか、また以前と比べすぐれた表現になりえているのかどうかは、本来、分離させて考えなければならない。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(08年)
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