
ワン・エピソード、ワン・エピソードがけっこう緊張を強いるものだったので、それほど長い話にはならないだろう、とは考えられたが、全6巻で完結となった。桜井まちこの『H』である。正直なところ、主役ふたり以外の、各登場人物の掘り下げが足りず、総体としてみれば、型くずれを起こしているような印象を覚えるけれども、反面、そういった部分がリアリティとして引っかかるのかな、という気もする。個人と出来事の関連づけが密接ではなくて、その隙間に風の通ることが、寂しさを煽っているのかもしれない。親子といったア・プリオリにある関係は、形骸化し、友人たちとの輪は、あやふやさのなかにしかなくて、ただただ恋愛感情だけが鮮やかに見えるのだとしたら、寄る辺のない少女が、ひたすら、それを追いかけるのは必然なのだろう。メイン・テーマからは外れるが、悲しいのは、死をもって自分の存在を具体化しようとした笠井である。そのアクションは、やはり存在感が濃度として伴っていないため、唐突に過ぎる。だが、その内面の見えないこと、ほかの誰かに気持ちを打ち明けられないことが、逆に彼を追いつめていたのだとすれば、なるほど、死以外に繋がれるものはないのだった。〈……さびしかったら死んでもいいの……?〉かどうかはわからないけれども、寂しさの最中を生きるのは、それ相応にハードなことである。誰しもが引き受けられるというものではあるまい。けれども、生きるのであるならば、引き受けざるをえない。そういったことの悲しみが、涙となって落ちる。つうか、まあ、逃げることばっか考えてるから、よけいに辛いということもある。だから〈逃げないほうがラクなんでしょ?〉と心を決めれば、それはそのとおりで、そこのところ素敵にいいシーンである。後ろ向きの姿形ではじまった物語は、前向きに体勢を入れ替えたところで、閉じられる。しかし前向きとは、いったいどういうんだろう。希望などといえば、曖昧としている。噂では聞いたことがあるが、実物は見たことがないな、といっても、ああ、そうか、でもそいつに向かって伸ばした手は、自分のものとして確実に信じられるのだった。
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