ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年09月18日
 文学界 2008年 10月号 [雑誌]

 『文學界』10月号掲載。人というのは自分だけで自分を確認することができない、おそらくはこれが村上龍の作品群を貫く一本の真理である。たとえば江藤淳や柄谷行人といった批評家に影響を受けながら(まちがいなく江藤はデビュー当時の村上を非難したことで影響を与えるのに成功している)、経済学などを学びながら、トレンドに目配せしながら、状況や情報や環境を参照しながら、さまざまな物語をつくってきた作家であるが、どれもが根っこの部分に、人というのは自分だけで自分を確認することができない、という言いを含んでいるかのような印象を受ける。もちろんそれは、ときにアメリカという外圧によって自己確認する日本の姿としてあらわれ、ときにセックス(性交)を媒介に主体と他者とのあいだに屹立する欲望としてあらわれている。村上の過去作において、自らに告白を禁じるが、しかし告白の誘惑に飲み込まれていく登場人物がすくなくないのも、結局のところ、人というのは自分だけで自分を確認することができない、さらには正体不明になってしまう自分に耐えきれないものがあるからだろう。さて。この『心はあなたのもとに “I’ll always be with you, always”』もまた、そのような思想のヴァリエーション化された小説だといえる。

 以前にも述べたとおり、『心はあなたのもとに』の概要を端的にいえば、携帯電話のメールを重要なギミックに採用した今どきの難病ものにほかならない。一般的には成功者の部類に入る中年男性が、予断を許さぬ病を抱えた風俗嬢と出会い、できるだけの手助けをしてやろうとするのである。いや、さすがにけっこう長くなってきている内容だから、もうちょい複雑な部分もあるのだけれども、おおよそとしてはそうまとめられる。まあ、そのへんはどうなの、というところもあるのだが、しかし主人公である西崎の、香奈子という決して非凡ではない女性に対する期待と嫉妬を通じ、つまりあの、人というのは自分だけで自分を確認することができない、という状態が描かれているのは、たしかだといえる。読み手にはあらかじめ予告されているように、やがて香奈子は、死ぬ。もちろん作中の人間にとって、香奈子が生きているかぎり、それは決定的な事実とならない。だが、まるきり死が意識されていないというのではない。死者を前に誰しもが無力である。どれだけの人間関係であろうと、相手が死んでしまえば、取り戻すこともやり直すこともできない。このような不安が、西崎に、香奈子の死を先取りさせる。動揺させ、混乱させる。体調不良を知らせる香奈子からのメールが、小説のなかで重みを持つのもそのときで、要するに、欠落への恐怖が、香奈子のというより、西崎自身の実在を彼につよく認識させている。

 第十一回について→こちら
 第七回について→こちら

・その他村上龍に関する文章
 『半島を出よ』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(08年)
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