ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年09月14日
 17(じゅうなな) 1 (1) (講談社コミックスフレンド)

 以前から述べているとおり、桜井まちこには、ぼちぼち、子供ではなくて、大人の物語を描いて欲しい、と思う。たしかに、画の技術は著しく向上し、いくつもの場面には目をみはらされる、が、しかしストーリーのレベルにおいて、初期の頃の作品にはあったイノセンスを、それほどナチュラルにつくれていない感じを持つ。純粋の輝きをつよくしようとするかわり、どうしても登場人物たちに負わせる影を濃くしてしまう。そのような印象のなか、開放されないエモーションが、どっと暗く重みを増し、あらかじめ用意されていたはずの明るさをも飲み込んでいく。むろん、そこにいくばくかのリアリティはあるのだろう。けれども、鈍くなった光が、ある種の鮮明さをぼかしてしまう。かようなことを『17[じゅうなな]』の1巻を読み、考えさせられた次第である。〈これは高校生活最後の一年間のおはなし〉というイントロダクションをはじまりに置く『17』はつまり、詩歌と佑介のカップル、そして詩歌の友人の明、それから明が想いを抱く恵、この、三年にあがり同じクラスになった男女四人の関係が、繋がり、もつれ、ほつれ、やがてどこに到着するのか、をスモール・サークルの内における恋愛の、青春の、いつしか終わりを迎えるに違いない群像劇として展開している。ちょっとした行き違いが、過敏な傷をつけて残す描写の繊細と、その感受性には、さすが、と見入るものがある。とはいえ、その感受性は、少年少女という(すくなくともフィクションにおける)ダイナミックなシーズンを捉まえるには、いささか内向的すぎる。ところで、以前の作品である『H-エイチ-』であれば、ときおり挿入される河川の風景が、作中の息苦しさ、いわばガスを抜く効果を果たしていた。同様の役割を『17』では、雲と太陽、大空のうつくしさに与えている。このことはむしろ、登場人物たちのやりとり、笑顔だけでは、彼らを照らして十分な光度の足りない事実を、裏返し、含んではいまいか。

・その他桜井まちこに関する文章
 『minima!』
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『H-ラブトーク-』について→こちら
 『H-エイチ-』
  6巻について→こちら
  3巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(08年)
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