ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年09月09日
 ジミーとピンコの対立、ひいてはバラ学とジャスティスの対立を軸とする長篇マンガとしての『ギャングキング』におもしろみがないのはあいかわらずである。両者の対立が、たとえば吉田聡の『湘南爆走族』における湘南爆走族(江口)と地獄の軍団(権田)もしくは『荒くれKNIGHT』における輪蛇(善波)と虎武羅(伊武)のような、お互いがお互いの存在を対等に承認し合うライヴァル関係ではなくて、高橋ヒロシの『WORST』における鈴蘭高校(月島花)と竜胆高校(天地)のような、どちらかがどちらかを全滅しなければ収集のつかない敵対関係であるとき、その根本的で根源的な思想上の相剋が明確ではないため、長期戦になるにつれ、さまざまな綻びが出てきてしまっている、また根っこのなさを葉の部分で、つまり後付けで補おうとするから、焦点はさらにぶれていかざるをえない。深刻なトラウマや病気を都合のよい題材として扱い、想像力とのたまうのはともかく、落ち込んでは立ち直り、立ち直っては落ち込み、落ち込んだら立ち直る、の安易な繰り返しは、もはや躁鬱病の患者のようでもあり、そんな人間に大勢を惹きつけるカリスマを持たされても弱るよ。

 以前から幾度となく述べているとおり、やはり、柳内大樹の本領は一話完結型のエピソードにあって、この14巻でいうならば、ゲロッパくんが年少の不良に説教をかます回など、笑えるし、熱くて、かなり印象が良い。高校デビューのボヘが中学時代の自分に訣別する回も、ワキでアバレが気の利いた役回りをしていて、けっこう読ませるのだが、ぶっちゃけて勘所にポエムを入れてくるのにはうんざり、要らねえだろ、完全なノイズである。このポエムを発しているのは誰か。おそらく作者だろう。作中にはいない人間の声であり、いわばナレーションの立場にほかならない。もちろん、こうした手法は、それこそ吉田聡や高橋ヒロシの作品にも見られるし、いやヤンキー・マンガにかぎらず、古くより存在しているものに違いない。が、しかし、ここ最近のなかから類似の表現を探してくるなら、たぶん、森恒二の『ホーリーランド』が挙げられる。とはいえ、『ギャングキング』のそれが『ホーリーランド』ほどに効果的ではないのは、そもそも物語の内部に埋め込まれていない思想を、作品の外部から挿入されるポエムに語らせちゃう不手際によっている。要するに、ポエム化したメッセージを述べて啓蒙しているつもりになられても、マンガを済まされても困るよ、という話である。

 「ジミー君のビューティフルサンデー」と題されたエピソードは、異色作というか、作者の野心的な面、試行錯誤がうかがえ、高く買える。一読に値する。想像力という語を登場人物に使わせず、想像力を描こうとし、腐心しているのが伝わってくる。ただし、これを『ギャングキング』のなかでやる必要があったのかどうか、いささか疑問を覚える。いま現在、柳内のネームヴァリューであれば、まったくの読み切りで発表する場も得られたのではなかろうか。もったいない。

 13巻について→こちら
 12巻について→こちら
 10巻について→こちら
 9巻について→こちら
 8巻について→こちら
 7巻について→こちら
 6巻について→こちら
 4巻について→こちら
 3巻について→こちら

・その他柳内大樹に関する文章
 「オヤジガリガリ」について→こちら
 『ドリームキングR』(原作・俵家宗弖一)
  1巻について→こちら
 『ドリームキング』
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
posted by もりた | Comment(2) | TrackBack(0) | マンガ(08年)
この記事へのコメント
こんにちは。14巻読みました。 ゲロッパくんの話しだけは 笑えました。
Posted by ゆうとん at 2008年09月09日 13:47
ゲロッパくん、いいですよね。
ゲロッパくんとか、ボヘもちょっとそうなんですが、ケンカの弱い人間をメインにしたほうが味のあるものを描いているんだよな、このマンガは、と個人的にはと思っております。
Posted by もりた at 2008年09月09日 18:19
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